2018年2月25日日曜日

『パニック・トレイン』 ー過剰な期待をしなければ

 まあ、ものすごく期待していたわけではない。要するに列車が暴走して、中にいる人たちが無事に助かるかどうかをハラハラドキドキして見守るサスペンス、シチュエーション・スリラーもしくはパニック映画なんだろうという前提で見ていた。そしてそのとおりだった。
 乗客が少ないこと、列車の外側の救助活動をほとんど描かないことで、テーマのわりに低予算映画であることの弱点を補っていた。その分、限られた乗客の人間ドラマをたっぷり描かなければならないわけだが、その点の評価は甚だしく高いわけではないが、ものすごく低いわけでもない、といったところだった。
 犯人像が結局描かれないまま、途中推測として語られる犯行動機、自殺説を覆す事実が明らかにならないまま物語が終わるのも拍子抜けとはいえ、それもまた救助活動などと同じく、物語を重層的に描くためにはあった方がいいが、無ければ無しで終えてもいい。問題は何があるか、だ。
 主人公のシングルファーザーと女性乗客のロマンスとか、対立していた乗客同士がその後、協力関係を築いていくこととか、車外に身を乗り出しての作業とか、それぞれに見所を作っているが、その中でも、わずかな停車のタイミングで幼い息子を車外に出す決断の是非をめぐるやりとりはなかなかの緊迫感だった。
 列車が止まらないまま最悪の事態を迎えることを考えれば、危険なトンネル内で息子を降車させることを選ぶ主人公の選択はわかる。子供がふらふらと線路を歩いて後続の列車にはねられることを考えれば、降ろすのも危険な賭けだ。子供は怖がって降りようとしない。無理にでも降ろそうとする父の焦燥もわかる。

 数少ない乗客の一人である老婆があっさり心臓麻痺で死んでしまうことや、緊迫した時間を過ごしているはずなのに、そのなかにどうにも弛緩した時間が経過してしてしまうことなど、不満もあるが、全体としては、期待せずにテレビで観るには悪くない映画だった。

2018年2月12日月曜日

『ニンゲン合格』-これで「合格」と言われても

 比較的初期の作品だが、観始めてすぐに既視感を覚えるほどに黒沢演出のリズムはこの時期、既に確立している。10年の昏睡から覚めてリハビリを始めた主人公が、次のカットではスイスイと歩いている、物事の始まりか途中を見せて、その後で時間を飛ばしてテンポよく展開を見せる。
 が、ドラマ的にそれはどうなのか。どうみても10年の昏睡から覚めるという設定にリアリティを与えるようには描かれていない。事態の間の描写の欠落は、なんとなく洒落た感じを醸し出しつつ、実はリアリティの欠落にも通じている。
 まあ問題はそこではなくて離散した家族を取り戻すことなのだろう。長い昏睡から覚めるという特殊な設定から派生するドラマを描くことではなく、この映画で描かれるのは「失われた家族」なのだ。家族の象徴としての、かつて家族で経営していたポニー牧場の再建。もちろんそこにもリアリティはない。
 だから牧場の再建がリアリティをもっていないことを批判してもしかたがないのかもしれない。それが幻想であることは最後の崩壊によって自覚的に示されているのだが、それでいて「俺、存在した?」という主人公の科白とか「ニンゲン合格」という題名とか、あまりにあからさまで恥ずかしい。「存在した?」と問われて「お前は確実に存在した」と答える役所広司の演技がいくらうまくても、観ているこちらにはちっとも存在している気がしなかったし、これが人間として合格だと言われてもなあ、と。
 リアリティのある生活が描かれて、その上にちょっとしたお伽噺のトッピングがあるのなら、それが観る者の生きる糧にもなるものを。

 画としては、何とも言えず何とも言えないある「世界」を描き出すのがうまい監督ではある。「アカルイミライ」のエンドの妙な俯瞰による長回しも、この映画の最後の葬式の参列者を捉える微妙な俯瞰ショットも。
 「変な映画」としてやはり心に残るものの、それでやたらに有り難がるのも俗悪にも思える。

『フラットライナーズ』-サスペンスとしてもドラマとしても中途半端

 公開当時はテレビで宣伝もされていたが観る機会もないまま28年経って。
 医大生たちが臨死体験をする実験によって、過去のトラウマに襲われるようになるという、SFだかサスペンスだかホラーだかわからない話。
 キーファー・サザーランドにジュリア・ロバーツという豪華キャストの中で、お目当てはもちろんケビン・ベーコンだが、なんともはや堂々たる主役と言っていい。大人しく周りに流されるより自分の判断で咄嗟に動ける行動力を持ち、堂々と正しいことを言いつつ情にも厚い。その上かっこいいときてる。たとえエンドロールの筆頭がキーファー・サザーランドであろうとも主役はこちらだろ。

 さて、なんともはや中途半端な映画だった。怖くはない。先が気になるところもあったが、さりとて大した驚きがあるでもなく。監督のジョエル・シュマッカーは、そういえば『ブレイクアウト』の放送時は「巨匠」と称されていたが、どちらも似たような感触の映画だ。
 人間関係やら人となりやら、最初のうち、どうしようもなく説明不足だと思えたのは放送上のカットがあったのかもしれないが、幻想シーンになるといきなり、あまりにちゃちい赤い照明で画面がショッキングピンクになるのは興ざめだった。もうちょっと深みのある色合いで、しかも微妙な違和感、くらいにとどめてほしいものだ。
 そうした画面作り同様、ドラマとしてもわかりやすい、わかり易過ぎるトラウマとその克服、という作りに、どうもひねりがなさ過ぎる。ここは恐怖演出というより、ドラマとして描き込んでほしいところだった。確かにケビン・ベーコンの対決すべき過去は、子供の頃のいじめについての後悔、くらいのもので、それを現在の相手に会うことによって乗り越えるくだりにはそれなりのカタルシスはあるが、そもそもがトラウマなどではないのだから、なぜそれがこの特殊な設定によって呼び出されるのかもわからない。キーファー・サザーランドの件については、ただもう蘇生することとトラウマ克服が重ねられているだけで、それがどういう理屈なのかもわからない。
 ジュリア・ロバーツのウエストの細さと、ケビン・ベーコンの少年時代を演じた子役があまりにぴったりだったことに感動したくらい。

2018年2月11日日曜日

aikoの「花火」と「アンドロメダ」を同時に聴く

 前回の「決戦は金曜日」と「Let's Groove」を同時に聴くの第二弾。
 とはいえ、音源自体はもう10年近く前に作ったものだが、YouTubeで集めた映像を合わせてみると、また面白さも新たになる。残念ながら曲全体に合う映像はなくて「アンドロメダ」の2番は映像と音が合ってない。
 前回のアース・ウィンド・アンド・ファイアーと違って、今のところ著作権的なクレームは来てない。


2018年2月4日日曜日

『サバイバー』-ミラ・ヨボビッチの面目躍如

 ミラ・ヨボビッチ主演の大作なのに、聞いたことがない映画だった。ヒットしなかったのな。『Vフォー・ヴェンデッタ』が好きだったジェームズ・マクティーグ監督なので観てみる。
 「サバイバー」って題名はどういうことか予想できなかったが、9.11テロの生き残りって意味なんだ。そしてその後のテロを防ぐために体を張る公務員の活躍を描く。
 いや、それなりによくできていると思う。テンポ良く次々と襲う危機にテキパキと対処しながら、テロを防ぐために攻めにさえ転ずる。ミラ・ヨボビッチを起用した甲斐あっての面目躍如たる活躍ぶり。
 ただ、アメリカ的愛国心はわかるが、それが他国民に共感されるほどにはウェットな描き込みがされていなくて、単なるポリティカル・サスペンス・アクションといった体で終わってしまったのと、最後の最後で世界的に有名な殺し屋と一対一で肉弾戦の展開になってしまうのはいただけなかった。それはいくらなんでも無理だろ。『バイオハザード』のアリスならともかく。そんなのはブルース・ウィリスでぎりぎりだ。
 そういう展開にしないで決着つけないと主人公の「活躍」感が足りないと思ったのだろうが、結局それで無理やり感がにじみ出てリアリティを損なっていたと思う。