2021年9月18日土曜日

『REC3 Génesis』-謎設定のゾンビ物

 短いホラーをということでお馴染みのシリーズの続き。

 だったのだが、冒頭しばらくのPOVのあと、カメラが壊れてしまい、どうするのかと思っているとその後はすっかりPOVをやめて、カットあり他視点ありの普通の映画になってしまうのだった。「REC」シリーズどうした?

 『4』はまた元のPOVで、登場人物も前の関係者になるらしいから、この『3』だけが、制作陣は続いているものの、なにやら迷走したということなのか。

 それで、面白くもなかった。何かワクワクするような特別の仕掛けがあるわけでもなく緊迫感や爽快感が強いわけでもなく、かえって、途中まで同行していた人たちがあっさり退場するのもつまらないし。

 だいたい、ゾンビ物で、感染による増殖だというのに、そのウイルスはキリスト教的悪魔によるものなんだとか。何の必要があってこの設定? 悪魔なら単なる憑依でいいじゃん。なぜ噛みつく必要が?


2021年9月17日金曜日

2021年第2クール(4-6)のアニメ

『SSSS.DYNAZENON』

 「SSSS」って、もしかして『SSSS.GRIDMAN』か? と思ったらそうだった。やはり動画も演出もうまい。「グリッドマン」ほどの異世界感も日常感もなかったが、次作に期待はつながる。


「スーパーカブ」

 孤独な女子高生の閉鎖的な世界が、スーパーカブ購入によって拡がっていくというコンセプトはいい。物語の「拡がる」場面でアニメの彩度が上がる演出や、BGMにピアノクラシックを使うところも良かった。

 好ましい印象で観始めたが、夏休みのバイトの件や修学旅行のエピソードにリアリティの水準が落ちてちょっとがっかりしていると、後ろへいくほどにがっかり度が高まって、最後の2話はほとんど不快でさえあった。調べて初めて、途中の道交法違反描写が炎上していることを知った。それに対する原作のスタンスも、作者の見解も知り、興味深い論争だと思ったが、感想はそこではなく、やはり最後の2話のあまりの非現実的展開に対する落胆だ。非現実的な展開は、こちらの共感を阻害してしまう。しかもそれは、原作では考えられていて、そこに言及しているポイントが、アニメで省略されているから感じる非現実感なのだ。上記の道交法違反もそうなのだそうだ。となればそれはひとえにアニメスタッフのせいではないか。


「美少年探偵団」

 西尾維新と新房昭之に、主演が坂本真綾なので最後まで観たのだが、最後まで面白くなかった。坂本が美少年に囲まれると言えば「桜蘭高校ホスト部」だが、あちらの方がよほどいくつもの見せ場があって。「美少年探偵団」という設定に、何も惹かれるものがなく、副題に表れるミステリー趣味も、「趣味」程度にとどまって「無能なナナ」のような知的ゲームにはならず。


「MARS RED」

 大正ロマンに吸血鬼設定が載った、何だか妙に格調高いような低俗なような、変なアニメが始まったと思って意識してみると原作の藤沢文翁という名前が音響監督でもある。音響監督が原作のアニメって何だ?

 もともと藤沢という人が劇作家で、朗読劇の舞台劇が原作なのだった。それで音響監督もやると。なるほどそれで舞台劇が物語に重要な役割を果たしているのか。

 人間と共存できない吸血鬼設定が時々切ない味わいもあったが、通してそれほど面白いとも思えなかった。


「さよなら私のクラマー」

 原作の新川直司はデビュー作の「冷たい校舎の時は止まる」から感心していたのだが、それ以降の「四月は君の嘘」に続いて本作のアニメ化となった。「冷たい校舎の時は止まる」こそ映画化でも1クールのアニメ化でもするべきだと思うが。これまたいくつも実写化されている辻村深月作品としても。

 で新川作品であるところの本作だが、時々「はいきゅー!!」的な面白さはあったが、基本的にはアニメの出来がひどく、たぶんアニメ化にあたっての俗悪なデフォルメ描写にがっかりした。原作はそんなことはないのだろうと期待している。


「Vivy -Fluorite Eye's Song-」

 初回の最初に、ロボットの反乱らしき場面が描かれているのだが、その描き方がなかなか巧みだと録りだし、そのまま1話も観ずに最終回まで録画を終えて、一気見した。初回は1時間のスペシャルで世界観を見せるのだが、アクションの作画も、そこへ至る物語のスピード感も圧倒的で先に期待を持った。それ以降も2話くらいずつの区切りでエピソードを見せながら、100年に渡る、AI反乱に至る歴史を辿る。最後まで観ると、いろんなことがあったなあ、という、長い物語につきあった感慨があってすごぶる良い。初回ほどのアニメーションは、途中にもう1回くらいで、毎回がすごいレベルだったというわけではないが、ぐだぐだになることもなく好印象。

ただ、AIを扱っていて、やっぱりまるで人間的に描かれることの残念さがあった。


「ゴジラ・シンギュラポイント」

 始まった途端に、まず「言葉」に圧倒される。脚本と科学考証を担当するのは円城塔だという。それで。

 とはいえ作画も一貫して高品質。毎回のイマジネイションもすごいなあ、と思っていたのだが、結局ハードSFと怪獣映画の両立には成功したとは言い難い。


「東のエデン」

 再放送にともなって劇場版も放送されるという。10年越しに決着をつけるべく、テレビシリーズも録画して、まとめて観る。

 今観ても驚くほど高品質に全話が作られている。街並も人物も、一切ダレることなく最終話まで走りきる。そして、各話の展開は驚くほど巧みに興味を引きつける。

 まあその前の『攻殻機動隊SAC』がそうだったとはいえ、オリジナル作品をこのレベルで作っていた神山健治はやはり偉大で、とはいえやはりテレビシリーズでは話が完結していないので、何のことやらわからない。


「シャドー・ハウス」

 京アニほどとはいわないが、CloverWorksも安定して良い仕事をしている。これも、影と闇の動き方が実に見事。全体の作画レベルは実に高い。

 だがどうも主人公のドジっ娘ぶりが観ていて落ち着かない。積極的な面白さがあるわけでもなく、全話録りためて観るのに滞って、3クールが終わる頃にようやく見終えた(しかも途中をとばして)。


2021年9月12日日曜日

『リズと青い鳥』-残念ながら

 テレビシリーズ『響けユーフォニアム』は2シーズンとも観ていて、京アニの質の高さを劇場映画でジブリブランドの『かぐや姫』と比較して言及したことがある。

 京アニの劇場版となればさらに高品質。『氷菓』の1話では評価の低かった山田尚子は、その後『聲の形』がすごかったし。

 今作も、まあ細部の演出が呆れるほど上手い。カメラの移動やら対象の微妙な動きやら。そこに登場人物たちの感情が重なる。

 だがしかし、物語にまるで共感できない。残念ながら。これは好みの問題なのでどうにもならない。まるで面白くない。残念ながら。

 

『イニシエーション・ラブ』-ドンデン返しだけが

 書店で宣伝されている時に興味を惹かれていたがきっかけがなく、今回は『屍人荘の殺人』に続けて、ミステリーの邦画という括りで。

 始まった途端、主人公が連れ合いと同じ歳、同じ大学の大学生でのけぞる。どういうわけでその時代の中途半端な国立大学生に主人公を設定するのかと思ったら、まあバブル期の新入社員で、地方大学から東京に出て、ぎりぎり恋人と会うために週末に地元に帰れるくらい、という設定の必要らしきものはあるのだが、まあそれが面白さにつながるかというとそんなことはない。

 そう、面白くない。とにかくつまらなくてどうしたものかと思いつつ見続ける。宣伝文句の「ラスト五分のドンデン返し」を見届けるために。

 なるほど、その時が訪れると、それなりの満足はあるものの、それだけでそこまでの退屈さを許す気にはなれず、堤幸彦は近いところで『十二人の死にたい子どもたち』以来の低評価を安定させている。


 そのドンデン返しだが、映画と小説の枠を超えてトリックを成立させる力業はちょっと感心した。

 小説では、描写によってその人物のイメージを同定するから、違う人物のように描かれている二人が、実は同じ人物でした、というようなトリックをしかけることは容易だが、それは実写映画では無理だ。メイクでごまかすのには無理がある。同じ役者であることを観客に悟らせないのは難しい。

 一方で同一人物のように描かれながら、実は別人でしたというようなトリックも、実写では難しい。双子だとか多重人格だったとかいう別な設定が必要になる。

 しかし堤演出では、全然別の役者であることは明白で、しかしそれは同じ人物を演じているということなんだな、という堤映画的お約束だという了解を観客に強引に与えてしまい、それ自体がトリックを成立させる。


 そういえば堤幸彦でトリックと言えば『TRICK』だが、あの脚本は『屍人荘の殺人』の脚本を書いている蒔田光治なのだった。思いがけない連続。

2021年9月8日水曜日

『屍人荘の殺人』-意外とスカスカな

 去年の夏に原作を読み出したが一旦止まり、今年の夏にもう一度と思って図書室から借りて、半ばまで読み進めたところで映画を観てみる。登場人物のイメージを映画と同期させようと。

 始まってすぐ、原作にはないエピソードが続き、本格物であるはずの原作の情報量はちゃんと映画に書き込まれるのか不安になる。そんなおふざけに尺を費やしている余裕はあるのか?

 だがその点については不明なまま、結局終わりまで観てしまい、そこそこの謎解きに中途半端な思いのまま、どうだったのかはわからぬまま、追いかけて原作を読み進めてみる。

 驚いたことに主要な謎解きはほとんど映画に盛り込まれている。それなのにあれだけのおふざけを入れた映画は大したものだというべきか。逆に錚々たるミステリー賞を総なめにした原作は、そうしてみると以外にシンプルな構成なのだった。

 それよりも映画は浜辺美波の美少女探偵のズッコケぶりが愉しく、原作がスカスカな印象であるのに比べて、愉しさが増している気もして、意外なことに映画は原作の魅力に遠く及ばないという多くの例に必ずしも則っていないのだった。

 といって映画は名作、というわけでもなく、まあまあ、というくらい。かえって評判の高い原作は単独で読んでいれば、もっと面白く感じたかもしれない。


 原作、映画、どちらにも肩すかしに感じたのは冒頭から出てくる「名探偵」が意外と途中で退場してしまうことで、それはもっと劇的に後で物語にからんでくるんだろうと思いきや、いささかあっさりした再登場に終わるのだった。しかもどこで再登場するかで言えば原作の方がまだしも劇的で、映画の方の改編は中村倫也を殊更に目立たせたいと考えた改編ではあるのだろうが、成功していない。