2021年6月2日水曜日

『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』-デジャヴの喪失感

  今年度上半期に再放送していた「Steins;Gate」をようやく通しで見直して、その感動で「Steins;Gateゼロ」2クール分まで見直した。全体像がわかってくると感動もひとしおだったので、未見の映画もこの際。

 名作たるテレビシリーズに比べて、何か圧倒的なものがあったとはいわない。劇場版ならではの作画の質の高さはあったが、テレビシリーズもまた作画の質は高かった。いくつかの背景美術がとりわけ質が高いと思ったが、それをアニメーションの質と言っていいか。

 そう、そもそも動きの少ないアニメーションだった。映画で主人公を務める牧瀬紅莉栖のモノローグに被せる止め画が多く、映画としてどうなの? と思わないでもない。

 だが一方で、物語も画面も動きが少ないものの、その閉塞感が、映画という完結した器にふさわしいとも言えた。世界線のズレによって本編主人公がいない世界といえば『涼宮ハルヒの消失』だ。その胆は観客が知っている人物がいなくなってしまった喪失感だ。特定の登場人物の記憶にだけはその存在が残っていて、その焦燥感と欠落感が観客にも共感される味わいだ。古くは「時をかける少女」でこの感覚を知ったものだ。

 この映画では「デジャヴ」という現象をこの喪失感で新たに解釈し直して、派手ではないが何だか自主映画っぽい小品の愛おしさがあるのだった。

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