以前途中まで観て止まっていたのを、『マラソンマン』に駆動させて。同じ年に作られた、同じ脚本家の、同じダスティン・ホフマン主演映画。
ウォーターゲート事件にまつわるあれこれを知らずに観ると面白さが半減。というのは、一度観て、ネットであれこれ調べてもう一度早送りで観直しながら感じたことだ。
もちろん語り口も役者陣も一流の手触りはまざまざとあり、これぞジャーナリズム魂、というような感じ入り方をすべきなんだろうけれども、観ていて愉しいとすると、先にあれこれと知っていることが劇中に登場するからなんだろうとも思う。想定されるアメリカ人の観客には「常識」のことは殊更に説明されない。
たとえばこれがかのディープ・スロートのことなのか、というのはしばらくわからなかった。そうなると、おおっ、きたきた、という感じにはならないのだ。
それと、名前が覚えられないのと、その人物の事件への関与が把握できないのは、楽しみを著しく損なう。
というわけですごい映画であることはわかるし、エンターテインメントでもあるのだろうけれど、感動した、というには準備が足りなかった。
もちろん『新聞記者』を観ることより価値がある体験であるのは間違いないが。