2021年10月3日日曜日

『ゼイリブ』-過剰とアンバランス

 40年前の本作を観たのは30年以上前ではある。眼鏡を掛けたときにインベーダーが骸骨のような姿で見えるという、ただそれだけの基本設定は、その時の記憶だか、あちこちで引用されるせいだかで明瞭にイメージできるのだが、主人公がどんな人物で物語がどう展開するのかの記憶はまるでなかった。

 大衆煽動的な資本主義に対する批判というコンセプトと、馬鹿げて長い殴り合いのシーンを褒める言説がネットに散見されるのだが、全然ピンとこない。プロレスラーが演じる主人公の殴り合いは、やはりプロレスで、格闘技を見慣れた目からは空々しい。

 問題の資本主義批判にも感心しない。インベーダーとなれば外部から来たということだが、眼鏡を掛けたときに、インベーダーと人間が明確に区別されてしまうというのは、本質的に間違ったイメージだ。誰もが、程度はともあれ「骸骨」であり、それは外部から来たものではないだろう。

 人間の側にも、そちら側に与する裏切り者たちがいる、というのがそれを表しているのだという理解はできないこともないが、それにしても単純な2項対立の構図が決定的に変わってしまっているわけではなく、その批評性にも疑問がある。

 途中の、路地での打ち合いの場面は、建物の壁が左右に迫る圧迫感が照明で演出されて非日常感が現出していた、とても映画的なシークエンスだった。こういうところが、低予算映画監督の腕の見せ所だな。

 それにしても『遊星からの物体X』以外のカーペンター映画は、どうにも安っぽいのに驚かされる。その中で面白くなるかどうかは作品毎に差がありすぎて、それだけ『遊星からの…』が屹立した傑作だということか。

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