2021年10月9日土曜日

『シャイニング』-「世界遺産」的

 クールの変わり目でアニメの新シリーズをチェックするのに忙しいのだが、アニメを見続けていると洋画を見たくなって、かつホラーを何か、と、録画したままになっていた本作を。

 何十年ぶりかわからないが、『ゼイリブ』に比べても覚えているような自覚だったのだが、まあ似たようなものだった。やっぱり覚えているのはあちこちで引用される場面ばかりだった。

 さてそうして観直した印象としては、いささか拍子抜けだった。さして怖くはない。ジャック・ニコルソンの演技はむろん迫真だったが、それはそういうものだと思って観てしまえば、それ以上に驚かされるような恐怖はないし、直截的な恐怖は物理的なものだ。

 そして、ジャック・ニコルソンが狂気に染まっていく過程は、思いのほかあっさりと、急な印象なのだった。もっとジワジワとそうなっていくのかと思っていたが。

 いつキレるかわからない人の怖さは、もうちょっとバランスが微妙で、どっちに転ぶかわからない時にこそ怖いのであって、本作の父親/夫は、早い段階でもう危険な人になってしまっていて、後は物理的攻撃を避ければいいだけなのだ。子供が逃げるときにはそれなりにハラハラするものの、それも結局は単純な機転であっさりと逃れてしまい、あっさりと退治されてしまう。「シャイニング」はどこに使われたのだ。

 もう一人の「シャイニング」の持ち主の、あまりにあっさりの退場といい、原作の「シャイニング=超能力」をまるで活用しないならば、なぜこの原作なのかわからない。といってホラーとしての愉しさを極めるつもりとも思えない。


 見所は舞台となるホテルの豪華さ、壮麗さだな。そこはなんだかすげーなと思ってみていた。そこまでの道のりの大自然とか、冬には2階くらいまでが雪に埋まってしまう過剰さとか。

 それは何だか、テレビの「世界遺産」を観てるような感動なのだが。

 原作はそのホテルこそ脅威の根源なのだそうだが、映画は過去の事件の怨霊と父親の焦燥感が脅威の原因としか感じられなかった。 

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