ビートルズ好きの作者が、様々な業界の人に、ビートルズとの関わりについてインタビューする。ひたすらそれだけ。ビートルズという社会現象についてとかノンフィクションの作用とかいった深遠なテーマが浮かび上がるわけではない。ただひたすら雑談。だがビートルズ好きにはそれだけで楽しくて十分。語り手が知っている人ならば、へえ、あの人がそんな風にビートルズと関わっているのか、と知るだけでも楽しいし、知らない人ならば、ビートルズに対する興味だけで面白い。
それだけで、最後まで観てしまった。
ビートルズ好きの作者が、様々な業界の人に、ビートルズとの関わりについてインタビューする。ひたすらそれだけ。ビートルズという社会現象についてとかノンフィクションの作用とかいった深遠なテーマが浮かび上がるわけではない。ただひたすら雑談。だがビートルズ好きにはそれだけで楽しくて十分。語り手が知っている人ならば、へえ、あの人がそんな風にビートルズと関わっているのか、と知るだけでも楽しいし、知らない人ならば、ビートルズに対する興味だけで面白い。
それだけで、最後まで観てしまった。
最初のうち、カットの長さが『箪笥』を連想させる。うんざりしつつもそこを堪えてしばらくすると映画としての面白さがわかるカットが増えてきて、後半は楽しく観られる。といって、最初のうちのカットの長さにどういう意味があるのかは結局わからない。序盤、もっとサクサク話を進めてほしいと今も思う。
意外な展開が、意外性の驚きを与えてくれる。えっ、そうなるの? という驚きが何度も訪れる。
だがまあそこが主旨ではないかもしれない。といって何を「意味」として受け取ればいいかは判然としない。
ジワジワと感じられてくるのは、長い時間が経って、何かの執着を忘れてしまうことの喪失感、といったようなものだ。女の幽霊の「長い間待っていて、何を待っていたのかを忘れた」という台詞。そして後の場面で「多分もう来ない」と悟ったとたんに消えてしまう(成仏したということか)。
基本的には主人公の幽霊についても同じ感情を喚起される、ということでいいのだろうか?
恐るべき低予算だそうだが、こういう、よく考えられた作品は楽しい。
劇場に観に行きたかった映画の一本。
作戦中止の伝令を届けるため、二人の兵士が戦場を突っ切る。その過程をリアルタイム、ノンストップのワンカットで描く。もうこういう趣向が、それだけで賛辞に値する。応援したい。できれば感心したい。
さて『カメラを止めるな』のような、本当に肉体で実現しているワンカットではない。あちこちはデジタルで処理してつなげてもいるという。それでも、『カメラを止めるな』よりもはるかに大規模な映画を成立させるための構想が生半可で済むはずもなく、観ていてそれはひしひしと感じられるのだった。そしてその実現にかかるであろう手間も。
その映画制作者たちの情熱は、命がけで戦場を駆け抜ける主人公の思いとシンクロする。
それだけで面白くなる要素は十分にあるのだが、そのうえに、そこら中を面白くする工夫は高いレベルで実現していた。危険は常に襲ってくるし、二人で出かけて一人が途中で死んでしまう。哀しみや焦りや報酬のカタルシスや。
そして、すべてセットで作っている、途中の廃村やら廃墟やらの美しいこと!
廃墟が美しいのはなぜなのかというのは根本的な疑問ではあるが、それはともかく、思いがけず現れる、花咲く桜の林や、照明弾によってできる建物の影が移動する光景は、それだけで観る価値がある画だった。
『キャビン・イン・ザ・ウッズ』の続編だというのだが、なるほど、途中にまるまるその続きが出てきて、しかも解決するでもなかった。
雰囲気は『キャビン・イン・ザ・ウッズ』そのままで、若干予算に余裕があるようではある。場面があちこちに動いて、イベントも色とりどり。
闇の中に消える綱を引っ張って、闇の中の何かと綱引きする場面で、不意に綱が中空に引っ張られるとか、森の中をジョギングしていると、離れたところの木が倒れるとか、不穏なエピソードの見せ方がうまい。そのうまさは『キャビン・イン・ザ・ウッズ』以上だ。それだけで面白い、と思える。
たぶん、現実世界に対する違和の象徴とかいう解釈をすればできるのかもしれないが、まあしなくてもいい。
すっきりと説明されるような解決に至らないのは『キャビン・イン・ザ・ウッズ』同様だが、ループから抜け出る結末は映画としての完結感があって良かった。
原題『Scouts』はそのままではともかく、『ゾンビ・スカウト』くらいにしておけばよかったのに。ボーイ・スカウトがこれほどフィーチャーされていることが題名で示されてない邦題は残念。
ゾンビは、ウイルス感染型で、そこそこ走るのもいるし、力も強い。何より珍しく、そこそこの知能がある設定だった。ロメロ以外にそういう設定をしているのは思い当たらない。
ゾンビ物でコメディというと『ショーン・オブ・ザ・デッド』と『ゾンビランド』が圧倒的な面白さだったが、そこまではいかないなあと思いつつ終盤近くまでは観ていた。ボーイ・スカウト設定もあまり活かされていない。『マラソンマン』で、それほどマラソンの特技が活かされないように。
と思ったら、終盤は畳みかけるように盛り上がった。それもスカウトがスカウトの活動を活かして活躍するという、期待通りの展開で。
演出で緊迫感を見せるあたりもうまいし、伏線をちゃんと張ったうえで、最後はカタルシスを感じさせる大団円。
不足のない娯楽作だった。
原題は『RESOLUTION』といい、『The Cabin in the Woods』はドリュー・ゴダード監督の『キャビン』の原題だというから紛らわしい。邦題はもちろん『キャビン』をあてこんでいるんだが、こすっからい。といって原題ではわからない上に、そもそも訳しにくい。「決意、決断力、不屈、決議案、分解、分析、解決、解答」どの訳語も映画の内容に即応しているとは言えない。
さて、何映画なのかわからずに観る。『キャビン』はメタ・ホラーとして笑える部分さえあったが、こちらは、はて、どういうことだと受け止めれば良いのかわからない。明らかに超自然的なことが起こっているらしいからサイコサスペンスではないようだが、といって怖くないからホラーとも言えない。
意味ありげな「哲学的」会話がくりひろげられてりもするが、それが何を意味しているかもわからず、結末まで観て、原題の適切な訳語も結局わからない。
何か超自然的な存在が登場人物たちを観ている、ということらしいのだが(その意味では『キャビン』と同じだが、共通性を狙ったものではないはず)、それが何かもわからず、そこまでのストーリーとどういう関係になっているのかもわからず。どうやらその場所に関係しているらしいということだけは辛うじて示されているが。先住民の保護区だという設定は『ブラッド・パンチ』と同じ「土地の呪い」みたいなことだと受け取ればいいのだろうか。
わからないものの、悪くはなかった。手持ちカメラで始終揺れる画面は、フッテージ物のPOVというわけではないが、なんだだ妙にリアルで、演技も演出も悪くない。何か不穏な、不思議なことが起こっているらしいことは十分に感じられる。
宣伝を見て、えらく煽るなあと思って上映館を調べていた直後に、上映館近くに出張だった。終わってから観るとなるとレイトショーで、帰るのが深夜になるなあと思っていたら意外と早くに仕事が済んで、映画館に寄ってみると、10分後に上映回があったので飛び込んだ。
ジェームズ・ワンは『死霊館』シリーズにはあまり乗れないのだが、何と言っても『Saw』創始者の一人だ。期待してもいいかも。
さて、映画館は何と言ってもあの「音」だ。こういうのは、住宅街のリビングでは無理だ。音楽映画も良いが、ホラー映画は音の大きさが大事な要素ではある。
なるほど宣伝にあるとおり、ジャンルが読めない。どうみても超自然的なことが起こっているようでもあるが、物理的な破壊も起こっている。といってサイコサスペンスではありえないような程度には超自然的といえる。いったい真相をどう読めばいいのか。
下かと思っていると上だったり、前かと思っていると後ろだったりするミスリードが巧みで、まあ実に良くできた脚本だった。日本人には『ブラック・ジャック』の例があるが、確かにハリウッド・ホラーとして他に類例があるとは知らない。何とも意外な展開で最後まで楽しめた。明らかに続編を作ってやろうという終わり方ではあるが、十分な完結感はあって、本編は独立して満足できる。
もちろんホラー映画的演出は手慣れたもので、背景とか隙間とかに不穏な気配を感じさせて、間をたっぷりとりつつ、いきなり来るという王道演出の連続。
楽しかった。
勢いづいて、もうちょっとホラーを観たくなって。
B級なんだろうと観始めると、なかなか作りは悪くなかった。とはいえまあ『ジュラシック・パーク』のB級版とはいえる。
主人公が走る。それを追う、そこそこ走るゾンビが、集まっていく様子を上から捉えたカットは見事だった。空撮のドローンが上昇していくにつれて緊迫感と高揚感がみるみる高まっていく。
『正解するカド』は後半でがっかり、『バビロン』は最後まで愉しかった野崎まど原作・脚本。本作は果たして。
CGアニメらしい色の鮮やかさは活かしつつ、適度にセルアニメ的な絵柄に寄せてあるのは良い。アクションも高度で、アニメとしては質が高かった。
ただ、お話としてはそれほど目新しくもなく、感動的でもなかった。狙いはよくわかるんだが、演出が子供っぽくて、「大切な人を守るために奮闘する」という切なさが胸に迫ってはこない。いかにもアニメのキャラクターの喜怒哀楽というふうに感じられて。
終わりのドンデン返しも蛇足に思えた。そんなことやっていてはきりがないだけで、なんらそれまでの展開を感慨深いものにするというような効果があるわけではなく。
住民全体がコミュニティを作るアパートの小綺麗な「1BR」(ベッドルーム一つの部屋。これが原題)に住み始めてみると、そこはアパート全体がカルト集団で、拷問による洗脳でその一員にされてしまう、という話。
なかなか笑わない主人公の固い表情が、決して完全には洗脳されていないことを観客に伝えているが、とりあえずはコミュニティの方針に従うようになっていって、さて一体何時反逆することやら、という関心で見続ける。
期待通り反逆して逃げ出して、さて外に出てみても実はそこらじゅうにそうしたアパートがあったという結末に、ああこれはバッドエンドの苦い終わりを味わうのか、と思っていると、主人公の手のアップ。それを握りしめて通りを走っていくという、それなりに後味の悪くない終わり方で、そこまでの展開のスピードも緊迫感も申し分ない。
惜しむらくは、そのコミュニティが、本当に魅力的に見えるくらいの説得力があったらもっと面白かったんだが。やはりどうにも暴力的な洗脳、というか恐怖による支配に見えてしまって。
韓流ホラーとして評価の高い本作は、発表当時から興味を持ってはいた。娘が一緒に観るというのを契機にようやく。
始まってみると、その演出や編集のテンポの、余りの遅さに耐え難いと始終思わされる。カットが変わってからアクションを起こすまで、なぜ何も変化の起こらない状態を、あんなに長く映しているのかとイライラしてしまうのは、Youtubeやテレビに慣れた悪い癖か。
それでいてあまりの説明不足に、話が何やらよくわからない。速いテンポで情報を詰め込むとわからなくなるからテンポが遅いのかいうと、別に情報のない、とにかく冗長な間がやたらと多いというだけに感ずる。
評価されるのはたぶん、古めかしい画面に映る空気感の懐かしさが、美しい音楽で一層引き立つところと、2回にわたる大きなドンデン返しに驚かされるところではある。真相がわかって切ない、ということもある。それは確かに良い。
が、伏線が十分に観客に理解されずに、まるで再鑑賞を前提にしているようなのはいかがなものか。
根本的な問題として、「ホラー」として売り出されているところに、サイコサスペンスを交ぜているところの中途半端さをどうしたものか、と思ってしまう。
多重人格とか統合失調とかいう真相を用意して伏線を回収しているのに、映画は幽霊の存在を否定しないから、どうもスッキリと納得できない。不思議な出来事に対して、ある時は妄想で、ある時は幽霊だったりする中途半端さが落ち着かない。全部妄想で解決するように作ってしまえば良かったのに、と思う。貞子的ホラー描写もすべて妄想で説明してしまえば。
そうするとまた別の問題もあって、妄想の人物やら幽霊やらが、それはそれで「生きている」ような芝居をしてしまうのに違和感がある。この間の『ババドック』は、そのような存在が出てきたときは、オカルト現象でも妄想でもいいような描写になっていた。だからホラーとサイコサスペンスが同居できていた。
一方で本作では真相が明かされてから、あれは妄想だったとか幽霊だったとか言われても、ああなるほどと思えない。普通に物語に登場している人間としての演技/演出をしてしまうと、そういう不全感が残る。
もうひとつ。箪笥の下敷きで死ぬというそもそもの悲劇と、死にそうになっているのを助けないというあまりの非人間的な振る舞いが特別な悪人として描かれないこと、真相を成立させるこの二つの展開のあまりの不自然さに、これも何か妄想の一部なんだろうかとか思っているとどうもそうではなさそうで、結局腑に落ちないで終わってしまう。
頭のところを観たら、成り行きでそのまま最後まで。
勿論悪くないが、一緒に観た娘は、前に観たときの「特別」感がなくなったと言っていたが、確かにそういう感じではある。
スコット・ヒックスは何と言っても『Shine』だが、あれは「特別」な印象のまま記憶されているのだが、観直すと本作のように「見慣れて」しまうのだろうか?
前回書いたような魅力は、全く失われていないにもかかわらず。