娘が突然「トップをねらえ」を観始めて、つきあって見ているうちに、こういうのはやはりあんまり響いてこないのだとわかった。それで、見ながら常に脳裏に浮かび続けたガイナックスの前作である本作を観直そうということになった。
公開から間もなくの時期には観ている。その後にもう一回くらいは観ているかもしれないが、いずれにせよ30年以上ぶりだ。
アニメーションがすごいことは間違いないし、世界構築のすごさも、渋い味わいもあったはずだが、面白いとは言えまい、というのが記憶にある本作だった。
さて今観るとどうなのか。
いやはや、隅々まで面白い。
もちろんご自慢の「世界観」だ。建物から生活雑貨まで、いちいちのデザインが、ちゃんと現実とは違った微妙な違和感も含みつつ、どこもかしこも美しい。アナログの匂いを残したシンセサイザーで奏でられる坂本龍一の音楽も、どこもかしこも美しい。
その中で描かれる人間ドラマも、基本的には脱力しつつ、時々ユーモラスだったり、鬱屈していたり、昂揚したり。
初見の時には前年に「天空の城ラピュタ」があったりして、ロケットが発射された後にどんな冒険があるのかと思っていたら、そこで映画が終わりなのに肩すかしをくったのだった。だがそこがクライマックスで、打ち上がれば物語的には完結していいのだと思ってみれば、これは間然するところなく充分な物語なのだった。打ち上げ自体にみんなが情熱をかたむけていたのだ。そして大国の戦略がそこにからむのだ。そしてそれは人類にとっての一歩なのだ。
恐るべきディスコミュニケーションに遠ざけられたヒロイン像も、当時は消化不良のまま受け止められなかったが、今観ればそのままならなさこそ、この物語の陰影ではないか(ただし、宗教にのめりこむヒロインの信仰心を、微妙に偽物っぽく描けていればさらに文学的な味わいも増したろうに、などど無い物ねだりもしたくなる)。
そしてこの映画が愛おしいのは、やはりこのアニメーション映画を作った若者たちの姿が、物語中のロケット打ち上げを通して浮かび上がるように思えるところだろう。さまざまな労苦も、横やりも、世代間の葛藤も協力も、状況からの圧力も、終わった後にはこれだけの仕事をやってのけたという満足と、しかし残る後悔と。
あらためて特別な作品なのだと思い知った。