2023年4月25日火曜日

『BECKY』-タフなローティーン

 家をならず者たちに占拠されて反撃するヒロインといえば、『サプライズ』だが、あれよりも面白かった。登場人物がいたずらに愚かな行動をとらないというのが良い。怖さも充分で、それに対する反撃も痛快。痛快という以上のやりすぎな反撃も楽しみのうちだ。描写も丁寧でリアル。戦闘力の高いヒロインがローティーンというところがミソなのだが、その分、あれこれ道具を使うところで過剰な残虐さが出る。しかもそれを丁寧に描写する。

 ただ、途中の店で何やら宗教の信者らしい一団に会うエピソードや、ならず者たちが明確な目標をもっていることなど、消化不良の要素が残って、何だが腑に落ちないと思っていたら、続編があるのだそうだ。父親も、今回のならず者たちももういないが。継母が再登場はしないだろうから、続編は全く新しいキャストにヒロインが出会うのか。

 そういえばローティーンで戦闘力の高いヒロインといえば最近『ドント・ブリーズ2』で見たところだが、なんだかどちらも魅力的とは言い難い。やはり痛快と言うには度を超してしまうのだろう。「狂気」的なものを描かれても、そこを応援できるでなし、特に続編に期待するものではない。伏線の回収がものすごく楽しみというわけでもない。単にまた面白い筋立てと確かな演出をしてくれれば。

2023年4月22日土曜日

『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』-なんとも

 2回観た。字幕版と吹き替え版で。が容易に感想が言えない。脚本といい演技といい、並々ならぬものがあるのは明瞭にわかる。もちろん監督の手腕が飛び抜けているのは言うまでもない。が、とにかく面白かったとか感動したとかいうことが簡単には言えない。

 落ちぶれた男の再起とか、映画(ハリウッド)vs舞台(ブロードウェイ)とか、オールドメディアvsネットとかいうテーマがあるのはわかる。だがそれで何事かを言っているとは簡単に納得できない。虚と現実が混ざり合っていくところは映画そのもののメタファーのようでもある。

 とにかく凄い映画であることはまちがいないのだが。

2023年4月8日土曜日

『イミテーション・ゲーム』-人間のふり

 ベネディクト・カンバーバッチの演技も評判の良い、アラン・チューリングのエニグマ暗号の解読を描いた実話。

 確かに良くできている。困難と葛藤を乗り越えて課題を達成する話。周囲となじめない主人公が、次第に周囲との絆や支援を得て、絶望的かに思われる暗号解読に成功する場面は快哉を叫びたくなる。

 ただ、題名の「イミテーション・ゲーム」の意味がにわかにはわからない。姿を見ないで相手が人間か人工知能かを判断するチューリング・テストのことは聞いたことがあるが、そこで使われる概念なのだと今回知った。ネット上では大抵「模倣ゲーム」という訳語で使われている。劇中ではチューリングが戦後の事件の中で刑事に取り調べを受ける中で一度言及されるが、それが物語の何を示しているのかは説明されていない。

 さて何を意味しているか。

 実はこの映画の面白いのは、暗号解読の瞬間よりもその直後だ。その晩のうちに一つの攻撃作戦の指令を解読し、さて、それを阻止する作戦を遂行するか。しないのである。なぜか。暗号解読の成功により、ドイツの作戦がわかったからといって、それですぐに攻撃を阻止するような作戦を立てると、ドイツは相手が作戦を知っている、つまり暗号解読に成功したことを知るので、暗号機の設定を変えてしまう。それではここまでの作業が無駄になってしまう。だから、わかってはいても、そのままドイツには攻撃をさせておいて、相手がそれと気づかない程度に作戦を阻止するよう、解読した暗号通信の内容を利用するのだ。

 まず「イミテーション・ゲーム」の指しているものの一つはこれなのだろう。ドイツ側からは、暗号の解読が成功していることがわからないような対応をしつづける。これが、チューリング・テストにおける人間の振りをする人工知能、人工知能の振りをする人間の振る舞いになぞらえられている。

 もう一つ、どうやらアスペルガーとして描かれているチューリングの人間関係を指してもいる。途中で、婚約者がチューリングを、みなが「怪物だ」と言っていると伝える場面がある。チューリングが相手の気持ちを無視しているかのような振る舞いをしているエピソードが何度も描かれるが、それが最初のうちは傲慢さや孤高を示すように見えていて、そのうちにそうではないことがわかってくる。チューリングは相手の気持ちがわからないらしいのだ。冗談や皮肉を言葉通り受け取ってしまう。それはアスペルガー症候群の特徴なのだった。

 とすると、チューリングにとって他人は理解しにくい存在で、それは相手が本当は人工知能なのかもしれないという疑うことでもあり、同時に周囲にとってはチューリングがわからない。彼が人間なのか人工知能なのか。あろうことかチューリングは自分のマシン=人工知能に亡き友人の名前をつけて愛しているのだ。

 つまりチューリングと周囲の人間は、互いに相手が本当に人間なのかどうかを疑いあっている。題名はそのことを指しているのではないか。

 だがひるがえって、程度の差こそあれ、我々のコミュニケーションは常に相手の真意を探り合うゲームのようなものでもある。この映画はそうした本質を拡大して見せているともいえる。

 

2023年4月2日日曜日

『チロルの挽歌』-皆を集めて

 偶然にNHKのBS4Kで再放送されることを知って、30年ぶりに観る。

 最近放送されていた『世界サブカルチャー史 欲望の系譜」の日本編でヤクザ映画がとりあげられていて、それらのヤクザ映画はまるで観ていないが、そこで各時代のスターだった鶴田浩二・高倉健・菅原文太は、筆者にとっては山田太一ドラマの主人公として憧れの対象であり、確実に大人の男像のお手本として筆者の一部になっている。それらのドラマのうち、鶴田浩二の『男たちの旅路』、菅原文太の『獅子の時代』は、当時の放送より後に、再放送やディスクで観直すこともあったのだが、高倉健の本作は放送以来だ。

 『獅子の時代』のヒロインでもあった大原麗子はこの頃40代だが、はっきりと可愛いといっていい。同時に夫から自立しようとする女性像を体現してもいて、今回調べてみて、本人が本作を自身の代表作だと考えていたのだと知ったのは感慨深かった。

 夫婦や家族の問題からバブル崩壊後の地方の活性化の問題まで、あれこれと「問題」をとりあげてその難しさを提示する山田節はここでも冴えている。

 ストーリーも具体的な場面も全く覚えていなかったのだが、今見ると、最後にみんなが集まって話し合う展開も、思いもかけない無茶な決着に落ち着く結末も、ああこの頃から既に晩年の山田太一のパターンに向けて形が整えられているのかと思ったが、考えてみればそれ以前に70年代や80年代でも、最後にみんなが集まるパターンは毎度のことだったっけ。結局「問題」に対して登場人物がその人間関係全体でどう向き合うかを決着させなければならないのだ。そう思えばこの、ある意味でミステリーにおける「名探偵皆を集めてさてと言い」のようなクライマックスは必要な展開なのだろう。

 同時に、晩年では結末のファンタジー展開に山田太一の老いを見るような気もしていたのだが、本作が既にそれなのだった。ここで白けてしまうか、それもありとみるかは紙一重で、演出次第でもある。本作では余韻のある落としどころとして、その後の現実の方の奇妙な決着を救っているような感じだった。

 それにしてもやはり観るべき価値のあるドラマをこんなふうに作り続けていた山田太一には敬服。

『老いてなお花となる』-役者魂

 俳優・織本順吉の晩年を娘が追ったドキュメンタリー。死の直前の2年間を3本の番組にまとめたものだが、終わりまでを見通して3本まとめて作られたものではなく、1本ずつ順にまとめたものが放送され、評価されて2本目3本目が制作されたものだ。以前に2が放送されている最中に偶然観て、その後3を観て、今回まとめて再放送されたので1から通して観た。

 通して観ると、3年ほどの間に急激に老いていく変化がすさまじい。肉体だけでなく言動においても老醜と言って姿が映されていくのだが、なぜ娘は父のそうした姿を撮るのかという疑問と、なぜ父はそうした姿を撮らせ続けるのかという疑問に引っ張られて見続ける。3まで観て、娘の最初の動機が、家庭を顧みなかった父への復讐であったことが明かされるのだが、父の動機は直接は語られない。だが2の中で1を父親本人が観て、娘にそのドキュメントとしての価値を評価する場面がある。そして3では同じく2を病床で観て、すごいドキュメントだと告げ、娘に感謝するのだ。

 なるほど。カメラで撮られ、作品の中で生きることにおいて、映画もテレビドラマもドキュメント作品も違いはないのだ。織本順吉はそこまで全身全霊で役者だったのだ。老いて、ドラマの仕事がなくなり、生身の身体で老醜をさらしてさえ、そうして作品の一部になることが彼にとって喜びだったのだと、三つの番組を通して観て、腑に落ちた。

 恐るべき役者魂。

2023年4月1日土曜日

2023年第1クール(1-3)のアニメ

『陰の実力者になりたくて!』

 途中から気を抜いているうちに設定についていけないところがあったが、俯瞰した視線の軽やかさと作画の水準が決定的には落ちなかったことから、結局2クール分につきあってしまった。

 こういうの「俺強え」系というのだろうか。


『異世界おじさん』

 放送が不定期になり、結局最終回はアマプラで観た。異世界物のパロディになっているギャグが毎度楽しくて、溜めずにどんどん観ていたのだが、主人公の「おじさん」を子安武人が演じているのも、二枚目半な味わいを出していて良かった。


『転生王女と天才令嬢の魔法革命』

 異世界転生物だわ剣と魔法と魔獣は出てくるわで、ほとんどはパスするのだが、初回の作画が良かったので観始めて、結局1クール観てしまった。面白かったかといえばそうでもない。どこが『転生』なのかと思っていたら、主人公にはそういう異世界の記憶のあることが最終回で触れられて、だからどうだということもない。なぜこう無理矢理「転生」にしたがるのか。


『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』

 あまりにご都合主義的な展開が呆れるばかりなのだが、可愛い話でもあった。


『ブルーロック』

 サッカーの虎の穴に入ってのしあがるという、トーナメントとリーグ戦のまざったようなゲーム展開には基本的に燃えさせる構造があるのだが、その過程で、いちいちそうなることに理屈を立てようという心意気が見えるところが好ましい。何となく勝てる、ではなく、こういう工夫をしたから成功する、といった説明をしようという姿勢が。

 毎回娘と観ては、スポーツ観戦をするかのように楽しんだのは「ハイキュー!」以来。


『トモちゃんは女の子!』

 原作マンガのファンで、最初の2回目くらいまでは実に原作の味わいが楽しかったのだが、徐々にアニメの通常モードになってきて、面白さが半減した。原作の面白さというのはまた表現が難しいのだが、ウブな二人の恋愛をめぐるドタバタギャグの合間に、シリアスな本音がちらちらと見え隠れするバランス感覚、というか。


『異世界のんびり農家』

 異世界に転生して万能の農具を手にする主人公という、これもまた単に都合の良いことばかりが起こる異世界物なのだが、題名にもある「のんびり」な味わいが楽しくて、毎回溜めずに観た。


『大雪海のカイナ』

 弐瓶勉原作、ポリゴン・ピクチュアズの設立40周年記念作品というので期待して観始めると、美しいビジュアルが期待に応える。が、すぐに世界観は『ナウシカ』の二番煎じだとわかる。人類が滅びつつある世界で、古代の文明(我々の文明)の遺跡が残っているばかりで人々は中世のような文明レベルになっている。それでも残った国は戦争をして、古代の超兵器が戦況を決定し…。

 ま、オリジナリティは二の次でもいい。それでも面白くなればいいのだが、ずっと退屈なままで、かつとにかく人間の描き方があまりにひどくて、途中ですっかりうんざりしつつ、決着を見届けるために見続けた。その決着もあまりに人を舐めた低レベルな和平がおとずれて、腹を立てているとそのまま劇場版の宣伝。それがなかなか気になるのでまた腹が立つ。


『TRIGUN STAMPEDE』は3Dアニメの絵の密度が高くて捨てがたいが、原作も読むのがとにかくシンドかったので、こちらも録画したまま観ずに溜めている。保留。