2023年4月8日土曜日

『イミテーション・ゲーム』-人間のふり

 ベネディクト・カンバーバッチの演技も評判の良い、アラン・チューリングのエニグマ暗号の解読を描いた実話。

 確かに良くできている。困難と葛藤を乗り越えて課題を達成する話。周囲となじめない主人公が、次第に周囲との絆や支援を得て、絶望的かに思われる暗号解読に成功する場面は快哉を叫びたくなる。

 ただ、題名の「イミテーション・ゲーム」の意味がにわかにはわからない。姿を見ないで相手が人間か人工知能かを判断するチューリング・テストのことは聞いたことがあるが、そこで使われる概念なのだと今回知った。ネット上では大抵「模倣ゲーム」という訳語で使われている。劇中ではチューリングが戦後の事件の中で刑事に取り調べを受ける中で一度言及されるが、それが物語の何を示しているのかは説明されていない。

 さて何を意味しているか。

 実はこの映画の面白いのは、暗号解読の瞬間よりもその直後だ。その晩のうちに一つの攻撃作戦の指令を解読し、さて、それを阻止する作戦を遂行するか。しないのである。なぜか。暗号解読の成功により、ドイツの作戦がわかったからといって、それですぐに攻撃を阻止するような作戦を立てると、ドイツは相手が作戦を知っている、つまり暗号解読に成功したことを知るので、暗号機の設定を変えてしまう。それではここまでの作業が無駄になってしまう。だから、わかってはいても、そのままドイツには攻撃をさせておいて、相手がそれと気づかない程度に作戦を阻止するよう、解読した暗号通信の内容を利用するのだ。

 まず「イミテーション・ゲーム」の指しているものの一つはこれなのだろう。ドイツ側からは、暗号の解読が成功していることがわからないような対応をしつづける。これが、チューリング・テストにおける人間の振りをする人工知能、人工知能の振りをする人間の振る舞いになぞらえられている。

 もう一つ、どうやらアスペルガーとして描かれているチューリングの人間関係を指してもいる。途中で、婚約者がチューリングを、みなが「怪物だ」と言っていると伝える場面がある。チューリングが相手の気持ちを無視しているかのような振る舞いをしているエピソードが何度も描かれるが、それが最初のうちは傲慢さや孤高を示すように見えていて、そのうちにそうではないことがわかってくる。チューリングは相手の気持ちがわからないらしいのだ。冗談や皮肉を言葉通り受け取ってしまう。それはアスペルガー症候群の特徴なのだった。

 とすると、チューリングにとって他人は理解しにくい存在で、それは相手が本当は人工知能なのかもしれないという疑うことでもあり、同時に周囲にとってはチューリングがわからない。彼が人間なのか人工知能なのか。あろうことかチューリングは自分のマシン=人工知能に亡き友人の名前をつけて愛しているのだ。

 つまりチューリングと周囲の人間は、互いに相手が本当に人間なのかどうかを疑いあっている。題名はそのことを指しているのではないか。

 だがひるがえって、程度の差こそあれ、我々のコミュニケーションは常に相手の真意を探り合うゲームのようなものでもある。この映画はそうした本質を拡大して見せているともいえる。

 

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