山田太一死去に伴う一連の追悼放送で、NHKは『チロルの挽歌』とこれを放送したのだった。いや、各局がそれぞれにもっているソフトを放送しても良いはずなのに、この程度なのはどういうわけか。権利問題とかいろいろあるんだろうか。単にテレビ局の営業的な判断だとすれば、山田太一の文化的な貢献の価値に対する信じがたい軽視に思えるのだが。
ところで本作は大学生時の放送だから、録画したはずもなし、リアルタイムで観たのか再放送で観たのかもわからないが、あの頃にはこういうドラマの良さはわからなかった。
山田太一といえばテーマ先行で、中学生の時に知って以来、ドラマを通じて社会の問題をどう考えればいいのかを学ぶ教材として観ていた。もちろんその問題の考え方として重要なのは複数の視点から見るバランス感覚だ。山田太一ドラマ及びエッセイは、その点では思春期における思想形成には絶大な影響があった。
だが同時に、それはドラマ(物語)という形式をとっていることが大きかった。「問題」に伴う人間の感情の在り方に対する想像力が欠けていては、バランスと呼ぶに値しない。
そして本作はそうした意味で「テーマ」型のドラマとは言いがたい。言えば「老境」と「息子の死」ということになるのだろうが、これは上記のような意味での「問題」ではなく、それについての考察が展開されるというタイプの物語でもない。大学生の身にこうしたテーマがリアルかと言えばそうとも言えず、正直、印象は薄い。ラストシーンの笠智衆の表情が趣深いと当時、テレビ評で見た覚えがあるのだが、そういうのはよくわからなかった。
さて、それから40年経って観てみると、なるほどそうなのだった。趣深い。笠智衆の存在感が、あまりに貴重なのだった。
ドラマとしては、息子の病室から帰る病院の廊下で、息子を故郷の蓼科に連れて行ってしまおうと思いついて病室に戻るシーンから後の展開の高揚感と、その後の蓼科での穏やかな多幸感は、やはりドラマとして力があった。
それにしても、40年前に既に、最後は皆で集まって歌を歌うのか!