2025年5月17日土曜日

『ラストシーン』-エンタテインメント

 「全編 iPhone 16 Pro で撮影が行われた」が全面に出ているが、是枝監督作でなければ観る気は起こらなかった。スマホだけで撮影したといえば三池崇史もあったはずだし、去年のNHK杯のテレビドラマ部門の準優勝作品も全編スマホ撮影だった。これがスマホだけで、かあ、すげえなあとは思うものの、面白くなければそれ以上にどうでもない。

 面白かった。タイムトラベルなどというベタな設定を持ち込んで展開するストーリーは、そつなくテンポ良く見せるし、仲野太賀のうまさはもちろん、福地桃子の可愛らしさも魅力的で、エンタテインメントとしての短編映画として見事な完成度だ。タイムトラベルなんて持ち込んで、パラドクスはどうするつもりなんだろうと思っていると、なるほどシンプルに「消える」という解決か。その切なさがベタベタしないバランスで描かれているのもさすが。未来にそれを補償するエピソードを入れるのはやりすぎだと思ったが。

2025年5月8日木曜日

『彼女のいない部屋』-現実と虚構のあわい

 あまりに予備知識なしで見始めたんで、途中で役者を知っているのか確かめたくなってアマゾンのサイトを見ているうちに、ネタばれ情報を見てしまった。『鳩の撃退法』を見て間もないのだが、これもまた、現実と虚構の境目が意図的に混乱するように描かれているのだった。で、どれが「現実」なのかを知ってしまったわけだが、いやそちらが虚構でもかまわないはずだ。全部の情報を精査したわけではないが、虚構パートも、まるで「現実」的な手触りで描かれている。じっくり考えていけば、これは妄想=虚構と考える方が理に適っているかという納得も、一応はできそうな気もするが。描き方のリアリティは、ほとんど同等の水準に思える。そのうち、これは地続きの「現実」だと考えるのは難しいから、といってパラレルワールドを描こうとするSF的な手触りを醸し出しているわけでもないから、つまりは一方が「現実」、一方は妄想により作り出された「虚構」なのだろうと解釈されてくる。どちらをどちらと考えるのが筋道が立っていそうか見当をつけながら追っていくと、「虚構」側だと思っていたシークエンスが、ふいに「現実」側に着地したりする。

 仕掛けは面白いし、描き方は文句なくうまいのだが、それでどこに気持ちをもっていけばいいのか。悲劇に身を切られるような共感を抱く? 素直な感情として感動したかと言えば難しい。

『まともじゃないのは君も一緒』-まとも

 成田凌と清原果耶のかけあいは圧倒的にうまい。脚本も演出もうまいのだろうが、『クジャクのダンス』と違って、役者成田凌の本領発揮という見事な演技も見物だった。そしてそれ以上に清原果耶がくるくると変わる表情で表現する微妙な感情は見事だった。

 とはいえ、成田凌の演じるキャラクターは、最初のうち高機能自閉症かと思われたが、後半ではどんどん自然なやりとりのできる人になってしまい、人格に一貫性がないようにも思える。ここは演技の問題ではなく脚本と演出の問題。

 「まもともじゃない」人が、それなりに人々になじんでいく物語を見たかったが、どんどん「まとも」になってしまい、そこは残念。