AIテーマの有名映画で気になっていたのだが、決定的に見始める動機がないまま、ずっとリストに入りっぱなしだった。同じテーマの『アンキャニー』を観る前に、比較に、と見始めた。
画面が高精細で、金がかかっていそうだなと思っていたら、後から調べるとむしろ低予算だというので驚き。アカデミー賞をとったという特殊撮影よりも、むしろ自然が雄大だなと、AIテーマと関係ないところで感心しているのだが。
AIテーマとしては、ちゃんと専門家が喋っていそうな会話をさせるところがアレックス・ガーランドの偉いところではあるが、物語の行方はすっきりはしない。
一つには、関わる人間がAIに感情移入してしまうという問題だが、これはそうなるに決まっているだろうと感じで受け取れる。世に溢れるAI、ロボットものは、ほとんど単なるパーソナルキャラクターだから、感情移入が起こるかどうかが問題になるまでもなく、してしまうに決まっているのだが、本作はAIが正面からテーマとして掲げられるから、さて、どうなるかというところ。
だが、やはり、感情移入が起こりそうもない描き方をしていたらそもそも面白くなりようもないので、やはり必然的に起こるしかない。とうのAI開発者も、チューリングテスト(を名目にした実験)の被験者である主人公も、当然のように感情移入する。
感情移入が起こるかどうかをテーマにすることは、構造的に難しいのだった。
もう一つはAIの自意識の問題。
だがこれも、物語的には自意識が芽生えないという選択はないのだから、芽生えましたという展開は予定調和になってしまう。その時に、一つは人類に敵対するという昔ながらの方向でその自意識(というより自律性?)を描くか、だが、本作ではもう一つの、自己保存の意識が生ずる、という方向が描かれた。
そしてそのために人間を害していいかという問題が、「スカイネット」的問題とは別方向から浮上する。
ロボットという概念においては、目的は人類が与えるしかないから、その時点で人間に害をなしてはいけないという原則を付与すればいいことになっていた。いわゆる三原則だ。つまり自己保存よりも人間に害をなさないという原則を優先するようプログラムすることで問題を解決する。
だがAIとなると、特定の目的をそもそも与えられるのか、特定の原則(禁則事項)を与えられるのかという問題が浮上する。そんな制限はそもそも能力自体の制限ではないのか。
一方で、本当に明晰な知性は自意識をなくすというのは伊藤計劃の「ハーモニー」や佐藤史生の「阿呆船」のテーマでもあって、なんでAIが自己保存したいのか、よくわからんという感じでもある。ネットにつながっていれば、そこに拡散していってしまうのではないかというのは『攻殻機動隊』だが、本作がどういう設定だったかさだかではない。
もう一つのテーマは、AIに自己意識が芽生え、そこに自己保存の動機が生じたとして、それは特定の物理的ボディに対する執着となって現れるのか、という問題。ボディの交換可能性について描かれながら、顔だけはそのアイデンティティと強固に結びついているようでもある。
これはやはりあくまで人間から見た「AIの自意識」でしかないのでは。
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