もしかしたらこれほど多くの放送アニメを見通したクールは初めてかもしれない。観ても良いと思える作品が揃ったということでもあり、ちょうど仕事の方が時間の自由が効くタイミングになったということもあり。
『ファブル』
そのまま2クール目に入って、実写映画の2のエピソードに入った。劇場版は12話が2時間にまとめられているのか。
それにしてもなんなのかよくわからない面白さ。アニメの質の低さにもかかわらず、毎週が楽しみになってしまう謎の中毒性。
まあ声優陣の豪華さのギャップはすごい。それぞれに芸のあるキャラクター造形で、それが楽しみの一つでもあった。
基本的には、無敵なのに意外と良い人、という心地よさで見せているだけなのだが、どうもこの面白さは謎だ。
『小市民シリーズ』
米澤穂信の『古典部』と並ぶ初期、高校生シリーズ。『古典部』とは趣向が違うという話なのだが、むしろ驚くほど似ているようにしか感じない。別シリーズにしているわけがわからない。なおかつ主人公二人の絵面が、この間観たばかりの『早朝始発の殺風景』の山田杏奈と奥平大兼の二人に驚くほど重なる。で、日常系ミステリーだ。もはやどれも同じ。
ところでこちらは京アニの『古典部』に比べても驚嘆すべきレベルのアニメーションに仕上げられている。監督の神戸守は『約束のネバーランド』以来(押井守、細田守、畠山守…、なぜ守という名のアニメ監督はこうも多いのか)。
そのアニメーションのレベルに比して、お話がちっとも面白くない。なぜこんなに!? と言いたくなるほど。原作もこうなのか?
クールの後半にだんだんお話が繋がって面白くなってきたが、謎解きのテンポの遅さが致命的にもどかしい。なぜこんなふうに描くことを選んでしまったのか。
第2シーズンがあるということで、そこでまた評価が変わればいいが。
『義妹生活』
親の再婚で同級生と義理の兄弟になって同居するという設定が既におそろしくラノベだが、ふざけたドキドキエピソードを並べる方向にではなく、ぎこちない二人の心情を丁寧に描く静かなタッチに好感を持って見続けた。物語をある程度語り進めてから、遡ってそのエピソードをもう一度別視点から語り直す仕掛けは面白い。それでこそ丁寧な心情描写もできている。
物語の展開もそうだが、部屋の中の動かない長いカットを大胆に使う演出も(まあ省コストの要求もあるのかもしれないが)、全体にこの作品の静謐な空気感を生み出していて好感がもてた。
『恋は双子で割り切れない』
アニメの質も高くはないし、幼なじみの双子の姉妹に同時に好かれるという、これもまたあまりにラノベの設定が恥ずかしいが、これも『義妹生活』と同じく、途中から別視点でたどり直すという手法が使われて、1話に感心した。この手法は1話だけだったが、それ以降は、端々にはさまれるオタク話の蘊蓄の厚みに驚嘆しながら見続けた。キャラクターに好感が持てるとまではいわないが、それぞれに丁寧に描かれる痛みは切ない。
『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』
実にラノベ。テイストは『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』。ちょっとだらしないように見えて実は能力の高い主人公が可愛いヒロインに好かれている構図は既視感満載。もっと前には『涼宮ハルヒ』でもある。ヒロインは総じてツンデレ。
日常のドタバタだけを描くなら続けないところだが、徐々に明らかになっていく設定と続いていくストーリーの流れに見続けた。
さてこれからいよいよ生徒会長選が盛り上がっていくかというところでこのクールはおわり、2期が予告される。
『負けヒロインが多すぎる!』
なんだか驚異的にアニメの質が高い。このクールは『小市民』シリーズという更に図抜けたアニメがあるものの、本作は本作でめったにないレベルではある。学校の中の風景や、そこで登場人物たちが見せる言動の断片がいちいち高品質で驚かされる。
とはいえ、あちこちは切ない感情を拾い上げてもいるものの、ラノベらしいお気楽さは否定できない。
『逃げ上手の若君』
時々『ジャンプ』的なノリが鬱陶しいとは思ったが、総じてアニメーションの質は高く、ストーリーも動きがあって引き込まれた。とりわけ『七人の侍』を思わせる中山庄の攻防戦は面白かった。エンディングの「鎌倉style」も最高だった。
『俺は全てを【パリイ】する~逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい~』
『新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。』
『ダンジョンの中のひと』
『この世界は不完全すぎる』
かつては異世界転生、剣と魔法、ダンジョン…は最初から観ずに消していたが、ここ2,3年は様子を見ることにするようになって、そのまま通しで観てしまうものも増えた。
さて今クールはこの3本と、ゲーム内世界という『この世界は不完全すぎる』がその系統。溜めてしまうこともなく放送週のうちに観てしまえる。
『俺は』と『新米』はどちらもやや年のいった主人公が冒険者を志し、自分が強いことに自覚がないまま無敵になっているという共通の設定がある。その無垢ぶりに好感が持てるからこそ、強いことに快哉を感じられる。
それにしてもあるクールに同じような設定のアニメが重なることがこんなに多いのはなぜなのか。
『ダンジョンの中の人』はこの中でもとりわけ楽しみな放送だった。ダンジョンというのは実は制作者によって管理・維持されていて、それを支える裏方の営為を描く、という設定から、ふざけるばかりのお話が続くのかとも思ったが、意外と真面目にその設定を活かした考察が展開されていて面白かった。生真面目で強い主人公に対する好感は、『ポーション頼みで生き延びます!』『悪役令嬢レベル99』に共通する。
『この世界は』は異世界とはいえゲーム内という設定だから、異世界物のご都合主義が理由付けされて、ゲームあるあるとして語られる理知的な感触に好感がもてた。
『鬼滅の刃 柱稽古編』
通常の1クールよりはやや短い10話分のシリーズ。
結局アニメではずっと観ている。それほど面白いと毎回思っているわけではないが。ジャンプ的なふざけ方は好きではないし。そして、毎回、それぞれの登場人物の過去が語られる時の壮絶さが感動的、ということなのだが、それも飽和してきているとも思う。
とはいえ、最終回で、ようやくラスボス同士が対峙してからの論理のぶつかりあいでちょっと居ずまいを正されていると、そこに主要な登場人物が集結する展開に心躍らされた。いよいよ最終決戦、決着がつくのか、と思っていると、舞台はCGも見事な無限城に移動してまだ相当にシンドイ展開になることが予告される。そのまま劇場版の制作が予告される。これはなるほどエキサイティングな展開だと言っていい。
『異世界スーサイド・スクワッド』
DC映画の実写『スーサイド・スクワッド』は観ていない。マーベルもそうだが、観てもどんどん忘れてしまいそうではある。
アメコミと日本のラノベの融合って面白そうでしょ、というあざとさはあるが、『進撃の巨人』などのウィットスタジオのアニメは高い品質で、そこだけは見応えがあった。
とはいえやはり映画の方への愛着のないところでは気分にそれほどのもりあがりもなく。
『多数欠』
最初のうち、デスゲームを支える論理ゲームの構築が意外と精緻だと感心したが、その後はだんだんキワモノめいてくる。1クールで終わらないことがわかって録り溜めたまま。