2016年4月2日土曜日

『ライフ・イズ・ビューティフル』 -ホロコーストと幸福感

 見終わって、日本語のエンドクレジットを見るまで、主演のロベルト・ベニーニが監督でもあるとは知らずにいた。役者としてアカデミー主演男優賞は妥当だとして、この巧みな脚本を書き、細部の描写まで見事な作品全体を監督までしているのか。恐るべき才能ではある。
 批判するブログが、ほとんど炎上状態になるほど、万人受けする映画である。前半の、テンポ良く物語が語られつつ、伏線の回収などがアクロバティックに着地するところには、拍手喝采を送りたくなる。くだんのブログの批判は尤もとも感じたが、そういう批判をするほどのリアリティの水準を保証してはいない映画だとも思うので、素直に喜んで観ていた。
 だが後半のホロコーストの展開は、やはり重い。それは『シンドラーのリスト』のような、正面切ってそのテーマを描く物語とはまるで比較できないほど、リアリティのないものではあるが、語り口の軽さとの対比において、やはり充分な負荷ではある。そしてその負荷故にラストの幸福感は実に大きい。

p.s
 上記のブログ上の論争を見ていて、実に示唆に富んでいたのは、あの映画のリアリティの水準は、あの映画が、主人公の視点から描かれたものではなく、主人公の子供の視点から描かれたものだからだ、という、ブログ主に対する反論コメント中にあった指摘だ。
 なるほど。確かにエンディングで近くで主人公は死に、これが「私」(主人公の子供)の語った「父の物語」であることがナレーションによって明示される。そう考えればあのリアリティの水準には納得がいく。
 もちろん物語の語り手は、作品の隅々に渡って統一されたりはしない。あちこちに作者が顔をのぞかせる裂け目がある。あの悪夢のような死体の山はそうした裂け目から一瞬のぞいた「あちらがわ」であるようにも感じられるし、「悪夢のよう」である以上、やはり子供の目から見たホロコーストではあるようにも感じられる。

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