2019年7月18日木曜日

『サマータイムマシンブルース』-映画版が増幅している魅力はほぼない

 もう3回目になるが、ちょっと必要があって。
 前に2回観たのは、最初に観たときにその構造の複雑さに感心したからで、本作の魅力の基本はやはりそこだと思う。タイムスリップという仕掛けを導入することで、伏線とその回収という王道の「物語の綾」が複雑に描き出される。
 だが今回は元の舞台の映像も見て、脚本も読んで、物語の構造がわかってきたこともあって、役者の演技とか本広克行の演出に対する関心も高まった。
 そうしてみると、あの、舞台劇的な間の作り方などはやはりなんとも面白い。軽薄な連中が悪ノリしていく空気感は実に舞台劇的だ。
 一方で本広克行の演出のレベルはやはりその程度だよなあ、とも思った。
 元の演劇のノリが発揮されているところは充分面白いのに、映画版のオリジナルのギャグはちっとも面白くない。大学の用務員さんとか映画館のもぎりとか風呂屋の番台とか、まるで生きていないし、佐々木蔵之介がタイムループの説明をしているのに、みんながまるで聴いてない、などというギャグのどこが面白いのか。あの説明こそ、この物語の面白さを感ずるべきところではないのか。
 リモコンが壊れる場面の「ピタゴラ」的連鎖を映画的に見せるカットも、残念ながらまったく生きていない。
 真木よう子が出ているなんて、今までまるで意識していなかった。あれほどの女優の能力がまるで発揮されていない。
 全体として、映画版が増幅している魅力はほぼない。
 ただ、過去を変えてはいけないことに気づいて、さあ大変! となる場面だけは、物語が動き出すワクワク感がうまく演出されていて、ここだけは舞台では出せないダイナミズムだと思った。

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