2023年1月22日日曜日

『15時17分、パリ行き』-驚愕の映画作り

 実際の出来事を描く映画の主演の三人が、実際のその出来事の本人たちだというのだから、なんとも驚くべき作り方だ。それも、一場面にちょい役で出て来るというのではなく、全編出ずっぱりで、かつ問題の出来事の場面は映画のほんの一部分で、それ以外のほとんどは、その出来事に至る日常を描いているのだ。三人は、まったく真っ当に役者をやっているのだった。どうやったらこんな撮り方ができるのか、想像もできない。

 そもそもクリント・イーストウッドは、すべてのテイクをリハーサルなしの1テイクで撮るというのだが、できあがっている映画はすこぶる完成度が高く見える。お芝居をさせてそれをワンカットでベタ撮りするだけという素人映画っぽい感触は微塵もない。いくつもの角度から撮られた映像を的確に編集して、まるで違和感なく見せる。これがワンテイクでできているとか、素人が主演であるとか、どうなっているのか。

 物語としては、電車内で起こるテロ事件を描くのが主眼ではなく、その瞬間に向けて彼らの人生がどう積み重ねられていくかを描き、映画の最後にようやく迎えるその瞬間に、体を投げ出すことのできる主人公に素直に喝采を送りたくなるように作られている。

 長さにちょうどいい佳作。

2023年1月21日土曜日

『ペリフェラル ~接続された未来~』

 アマゾンオリジナルのシリーズで、かなりな高評価を得ているので観始めると、なるほど面白い。CGを含む絵面も、SF設定も、人物描写も、文句なくレベルが高い。監督が『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリなのだが、まあ納得というか『ハウンター』もあったしなあ、というか。

 ヒロインが魅力的なのは演ずるクロエ・グレース・モレッツの魅力でもあり、キャラクター作りの巧みさでもあり、いささか吹き替えの沢城みゆきのうまさのせいでもある。

 シーズン1の8話まで見て、あまりに途中で残念ではある。8時間あまり観て多少はひとまとまりしてほしかったが。

2023年1月17日火曜日

『雲のむこう、約束の場所』-圧倒的に感動的

 たぶん2回観て、新海作品では最も好意的な印象を持っているんだが、具体的にどういう話かは覚えていない。SF設定としてかなり緻密な印象なのだが、今回も結局どういうことなのかわからずじまいで、具体的に話の筋が覚えられないのはそのせいなのだった。

 だが観直してみると、やはり良い。風景がきれいだというなら最近作になるほどどんどん手が込んできれいになっていくが、もう20年近くなるこの作品を最初に観た頃は、『ほしのこえ』同様、CGによる美術のあまりのきれいさに驚嘆したものだ。観直してみると、やはりすごい。最近作は人の手を離れてしまっているようなすごさになってしまって、かえって感動がうすれてしまっているように感じる。

 それと、やはり人間ドラマだ。見ればそれなりにアニメ的なキャラクターの描き方もしている。それでも、宇宙の果てで闘いながらメールを待つ『ほしのこえ』といい、夢の中で一人で助けを待つ本作のヒロインといい、基本的に不器用にしかコミュニケーションをとれない登場人物たちの切実さが、最近作にはない感動を呼ぶのだった。

 最近作の大作ぶりとはまるで関係なく(ほとんど反比例して)、圧倒的に感動的。

2023年1月14日土曜日

『ファイナル・デッドサーキット』-漸減

 観たのかどうか覚えがないで観始めてみると、どうやら観ていない。終わってから調べると第4作だそうで、ということはブログを始めてから2.3作と今回4作を観たわけか。

 3作目のときにも良作だった1,2作に比べるとつまらなくなっていると書いているが、この4作目もそうだった。3Dが売りで、映画の興行収入は最も高かったそうだが。

 面白みは、例の「運命」が、来るぞ来るぞと期待させておいてそれをどう裏切って予想以上のものを見せるか、につきる。それ以上に人間ドラマなどを見せてくれればそれはそれで面白いのかもしれないが、黒人警備員の背景にいくらかそれを期待させたものの結局それが活かされているほどの展開があるでなし、例の「ピタゴラ」も前作以上でなし、CGも安っぽい印象で、総合的には面白さ漸減という感じになっている。


2023年1月9日月曜日

『ハンガー・ゲーム2』-途中

 『1』の不満は同様。重点はますます政治的な支配に対する抵抗というところにおかれている。

 が、そもそも完結せずに、完全に途中で終わっているのだった。

2023年1月7日土曜日

『ハンガー・ゲーム』-予断

 『バトル・ロワイヤル』と比較されてきたせいで、最初からそのつもりで観てしまう。それではがっかりせざるをえない。

 『バトル・ロワイヤル』の魅力は、極限状況における人間ドラマにつきる。バトルロイヤルに参加する人物の背景がどれほど詳しく描かれ、彼らが死ぬことがどれほどいたみをもって読者に感じ取れるかにつきる。そういう意味で評価の高い映画版『バトル・ロワイヤル』も、原作やマンガ版にはるかに及ばないのだが、こちら『ハンガーゲーム』も、映画版『バトル・ロワイヤル』と(その魅力の在処はまるで異なっているものの)同程度の感動にとどまる。それは冒頭からいきなりゲームが始まって、しかも文庫で上下巻の大部で描かれる『バトル・ロワイヤル』にして描けることなのに、本作はゲームが始まるまでに映画の半分を費やしている。その分、ゲームが行われることの、その世界における意味づけを描くことはできている。支配と抑圧の世界構造を描き、そこへの抵抗を描く。だがそれがどれほどの面白さとして感じ取れるかというと残念ながら大きくはない。同時にそれは主人公が終始眉根を寄せて笑えないことに必然性を与えているのだが、『バトル・ロワイヤル』では、そうした状況において笑う登場人物たちが崇高だったのだ。

 不満を感じさせる設定が二点。

 「同盟」と呼ばれる共闘がどういう理屈なのかわからない。『バトル・ロワイヤル』では、共闘するのは最終的に政府に反乱するつもりであるか、現状の不安を紛らわすだけの逃避であるとして描かれているのだが、基本的には共闘は疑心暗鬼と隣り合わせだ。それが、本作で描かれる共闘はそうした葛藤なしに、作戦として描かれる。勝者が一人という設定とどう整合するのかわからない。敵味方図式がシンプルになるハリウッド映画の病弊なのだろうか。

 闘争の様子を世界中に放送するために、面白くすることを意図して主催者側が競技者に嫌がらせをする。これは誰が敵であっても、試練がどこからこようと、主人公ががんばる姿が描ければいいのだ、ということか。だが試練は他の競技者と、生き延びることそのものだけでいい。その過酷さだけが描ければ充分だ。いたずらに放送用の仕掛けをすることが、生ずるはずの人間ドラマを損なっている。


 と、大いに不満だったのだが、後から調べてみるとテレビ放送用に大きくカットされているらしい。もしかしたら全編を観ると上記のような不足も補われるのだろうか。


2023年1月6日金曜日

『トゥルーマン・ショー』-複雑な感情

 昨年放送のNHK「世界サブカルチャー史」は驚くほど面白いドキュメンタリー・シリーズだった。アメリカを中心とする文化史と社会世相史が、60年代から10年刻みで描かれる。基本は各年代の社会状況を概観し、そうした社会問題のいくつかの断面を象徴する映画を数本ずつとりあげるのだが、その中で90年代の人々の世界観を象徴する映画として本作が取り上げられていた。あわせてNHKがBSで放送している枠で、「サブカルチャー史」で取り上げている映画を何本も放送しているのもありがたい。

 この世は作られた虚構の世界で、自分の観ていない世界の裏側でそれをコントロールしている者たちがいるというモチーフは数々の物語に見られる、現代人共通の感覚なのだろう。そこから現実への回帰を描くというのが基本的な物語の帰趨なのだが、それだけ言うと『竜とそばかすの姫』と同じテーマを描いていることになってしまう。だが観終わったときの感情ははるかに複雑で、これがどういうものかというのはなかなか分析が難しい。我々が広告に象徴される資本の論理の中に生きていることやら、テレビという虚構を見ている我々と我々の生とか、映画を作っているスタッフと映画内とか、いくつかの層が入れ子状になっていて、その境界をまたぐような感覚があるようなのだが、これをちゃんと考えるには時間が必要だ。

2023年1月3日火曜日

『The Devil's Hour』-物語につきあう

 アマゾンオリジナルのドラマシリーズ。合計6時間近い物語だから、こういうのはかつてはテレビ放送でされたものを毎週に分けて観るのが常だったが、配信では一気見も可能だから、とんでもなく長い映画として観るのは、一仕事だが充実感もある。

 正直に言うと、デジャブがループ物に収斂するのも、そこにサイコなシリアルキラーやペドフィリアがからむ設定はあまりにありふれているとも言えるし、どういう話なのかがわかってからの最後の1時間は少々冗長に流れたが、そこまで、事件・状況・設定が明らかになって謎が解けていく過程はそれなりに面白かった。だから途中でやめようとは思わずに、長い物語につきあって、その物語を「生きた」という感覚は楽しい。

2023年1月1日日曜日

『東京ゴッドファーザーズ』-圧倒的

 元日からアニメ三連続。クリスマスに観ようと娘が提案していたのだがそこを逃して元旦になってみると、物語はクリスマスから始まって元日に終わるのだった。

 十数年ぶりに観てみると、最近の『チェンソーマン』のあまりの作画のレベルに圧倒されて、これも時代かと思っていたのだが、20年前に既にそのレベルのアニメはあったのだと再確認した。動きから美術まで、どこまでも隙の無いレベルで全編できあがっている。

 そしていちいちの演出が気が利いていて、笑えたりしみじみと感じいったりハラハラしたりして、最後には大いなるカタルシスにいたる。

 ここまで圧倒的によくできた映画だったのかと認識を新たにして、大満足の観直しだった。


『竜とそばかすの姫』-当然のように

 ヒットもし、カンヌや米アカデミー賞でも評価されているという本作に、勿論期待はしていない。ネットでの評判は『おおかみこども』『バケモノの子』『未来のミライ』と続く落胆の延長にあることを予想させるに十分というにあまりある。この間帰省した息子が「最初の5分観ただけで既視感が半端なかった」というのでそこだけ観てみたが、「U」のビジュアルイメージは『ぼくらのウォーゲーム』『サマーウォーズ』から更新される何の新鮮味もないし、主人公の鬱屈も、その後くりかえされる「さあ、世界を変えよう」のナレーションに見られる現実逃避願望も(それが現実回帰のメッセージの裏返しであろうことも)、あまりに見慣れた光景だ。現実逃避には、仮想空間でのヒーロー願望が付随しているが、それがあからさまでかつ説得力もないのは無惨だ。あの歌声がそれなりに魅力的だとしても、いきなり50億人が魅了されてしまうというには説得力がなく、現実に自信のない高校生が、数十人の支持を得て救われる、くらいの描き方で充分ドラマは始まると思うのだが。

 さて通して観てもその感想は覆されなかった。誰もが指摘する終盤の主人公の行動とそれに対する周囲の大人の対応の不合理も、高校生が立ちはだかって虐待親が気圧されるとかいう描写も、本当に誰か関係者が指摘しなかったのか、それでも細田監督がいいと言い張ったのか、わけがわからない。どうみてもおかしな展開で、それを看過するということは、やはりアニメ的な安直な感動を優先しているということなのだろうと思うと、病理は根強い。あれで、現実に対してどんなメッセージが送れると思っているのか。

 例えば序盤で主人公の鬱屈の源である母親の死が描かれるが、そのシーンにもう落胆してしまう。増水した川の中州に取り残された子供救うために母親が助けに行って自分だけ溺死する。川に入ろうとする母親を子供が止める。止めたにもかかわらず母親が助けに行くことに対して「自分よりも他の子供を選んだ」という理屈でこの出来事がその後の主人公の鬱屈になるのだが、もうまるで腑に落ちない。現実には子供にはその行為の危険度を測ることはできないから、母親が行くとなればそういうものかと見送るしかなく、結果を知ってから呆然とするしかないはずだ。その行動についても、現に川岸にいる自分よりも相手の子供の方が危険に直面しているのだから、「自分よりも相手を」などという比較が成立したりはしない。単に主人公の自己肯定感の低さを要因づけるためのエピソードのこうした描写が、単なる理屈でしか配置されておらず、もう現実離れしていてがっかりさせられる。この感じは『おおかみこども』の父狼の死骸の処理をする清掃員の態度や『バケモノの子』の冒頭の親類の描き方にも感じた。書き割りのような悪役や状況を背景として主人公が「可哀想な人物」に描かれる。

 度々登場するネットの人々の「声」もそうだ。あまりに一面的に、陰影もない「ネット誹謗」を表す記号的表現にしかなっていない。

 古い細田ファンとしては、多くの人が言っている通り、誰か別の人の脚本で作品を作ってほしいと切に願うが、これほど無惨な本作がそれでもヒットしてしまうという結果を見て、細田脚本を変える必然性を主張する声はどこからも発せられないに違いない。

 惜しいことだ。

『劇場版 少女歌劇レビュースターライト』-贅沢を言えば

 人から薦められてはいたのだが機会がなく見ずにいたのだが、思いがけず帰省した娘が観ようと言い出して、テレビ版の初回のみ観て、いくらか人物関係を把握してから観る。

 なるほど幾原邦彦の弟子だとかいう影響はまぎれもない。いちいち超空間にとんで描かれる闘争は象徴的だ。それを「新鮮」と言えば言えないこともない。アニメ的にも見応えのある動きを見せる。

 だが演劇に対する強い思いと闘争によって生ずる人間ドラマを描くならば、できれば現実空間で細やかな展開を見せてほしいと思ってしまった。

 多分その方が贅沢な希望なのだ。アニメ的に野心的な作品を作ろうとしている本作の試みよりも。


2022年第4クール(10-12)のアニメ

『アキバ冥途戦争』

 秋葉原のメイドをそのまま東映ヤクザ映画にはめ込むという、どういう発想で企画されたのかわからん話だったが、初回のあまりにぶっとんだ描写に驚いて娘と共有したところ、彼女が楽しみにしていたせいで溜めることなく放送後すぐに毎回観た。それなりに笑えるところがあったり、登場人物たちに愛着が湧いてきたりもして、なかなかに印象の強い作品にはなった。


『チェンソーマン』

 驚愕レベルのアニメーションが最後まで保たれた。エンディング曲が毎回変わるなど、どれだけ金をかけているのやらと思わせるテレビ放送だった。部分的には原作マンガよりもよほど丁寧に情感を伝えてもいて、それができているアニメは稀有。


『モブサイコ100Ⅲ』

 第2シーズンのように驚嘆するレベルのアニメーションではないと感じたが、全体にはレベルが高く、大きな二つのエピソードも盛り上がった。ただ、間に挟まれた「通信中② 〜未知との遭遇〜」のエピソードが印象深い。アニメーションの巧みさ(いわゆる「ぬるぬるうごく」)も、青春劇としての味わいも、後半のあまりにぶっとんだ、しりあがり寿的な味わいも。


『惑星のさみだれ』

 あまりのアニメーションのレベルの低さに途中でやめて、最後の3話で復活したのだが、まるで話に覚えがない。で、数年ぶりに原作を読み、あらためて深く感動してアニメを観ると、ちゃんと原作通りなのだった。

 やはり作品はその表現独自の様式の中で工夫されるべきものであって、原作がその表現の中で素晴らしい物語を作っているからといって、移し替えられた別の表現を無条件に素晴らしいものにするわけではないのだ。

 この素晴らしい原作に対して、あまりに残念なアニメ化。


『陰の実力者になりたくて!』

 現代日本を舞台にして初回ははじまったが、1話目の終わりに異世界に転生する。で、そこはやはり剣と魔法とエルフなぞが出てくるのだった。それでもやめなかったのは、竜がでてくるクエストものではなかったからだ。

 ここまで異世界ものが増えると今度は『異世界おじさん』はじめ、大方は「異世界もの」のパロディのようなものが増えてくる。その中でも、本作は主人公の内面が題名にあるように、ありがちな物語のパターンと自分の振る舞いを俯瞰した視点から見ているところに特徴があり、その軽やかさがどこまで昨秋で保たれるのかが興味をひいている。

 2クールに続くとは思わなかったが。


『ブルーロック』

『異世界おじさん』

も完結していないのでまた来年。