2023年1月7日土曜日

『ハンガー・ゲーム』-予断

 『バトル・ロワイヤル』と比較されてきたせいで、最初からそのつもりで観てしまう。それではがっかりせざるをえない。

 『バトル・ロワイヤル』の魅力は、極限状況における人間ドラマにつきる。バトルロイヤルに参加する人物の背景がどれほど詳しく描かれ、彼らが死ぬことがどれほどいたみをもって読者に感じ取れるかにつきる。そういう意味で評価の高い映画版『バトル・ロワイヤル』も、原作やマンガ版にはるかに及ばないのだが、こちら『ハンガーゲーム』も、映画版『バトル・ロワイヤル』と(その魅力の在処はまるで異なっているものの)同程度の感動にとどまる。それは冒頭からいきなりゲームが始まって、しかも文庫で上下巻の大部で描かれる『バトル・ロワイヤル』にして描けることなのに、本作はゲームが始まるまでに映画の半分を費やしている。その分、ゲームが行われることの、その世界における意味づけを描くことはできている。支配と抑圧の世界構造を描き、そこへの抵抗を描く。だがそれがどれほどの面白さとして感じ取れるかというと残念ながら大きくはない。同時にそれは主人公が終始眉根を寄せて笑えないことに必然性を与えているのだが、『バトル・ロワイヤル』では、そうした状況において笑う登場人物たちが崇高だったのだ。

 不満を感じさせる設定が二点。

 「同盟」と呼ばれる共闘がどういう理屈なのかわからない。『バトル・ロワイヤル』では、共闘するのは最終的に政府に反乱するつもりであるか、現状の不安を紛らわすだけの逃避であるとして描かれているのだが、基本的には共闘は疑心暗鬼と隣り合わせだ。それが、本作で描かれる共闘はそうした葛藤なしに、作戦として描かれる。勝者が一人という設定とどう整合するのかわからない。敵味方図式がシンプルになるハリウッド映画の病弊なのだろうか。

 闘争の様子を世界中に放送するために、面白くすることを意図して主催者側が競技者に嫌がらせをする。これは誰が敵であっても、試練がどこからこようと、主人公ががんばる姿が描ければいいのだ、ということか。だが試練は他の競技者と、生き延びることそのものだけでいい。その過酷さだけが描ければ充分だ。いたずらに放送用の仕掛けをすることが、生ずるはずの人間ドラマを損なっている。


 と、大いに不満だったのだが、後から調べてみるとテレビ放送用に大きくカットされているらしい。もしかしたら全編を観ると上記のような不足も補われるのだろうか。


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