2023年1月1日日曜日

『竜とそばかすの姫』-当然のように

 ヒットもし、カンヌや米アカデミー賞でも評価されているという本作に、勿論期待はしていない。ネットでの評判は『おおかみこども』『バケモノの子』『未来のミライ』と続く落胆の延長にあることを予想させるに十分というにあまりある。この間帰省した息子が「最初の5分観ただけで既視感が半端なかった」というのでそこだけ観てみたが、「U」のビジュアルイメージは『ぼくらのウォーゲーム』『サマーウォーズ』から更新される何の新鮮味もないし、主人公の鬱屈も、その後くりかえされる「さあ、世界を変えよう」のナレーションに見られる現実逃避願望も(それが現実回帰のメッセージの裏返しであろうことも)、あまりに見慣れた光景だ。現実逃避には、仮想空間でのヒーロー願望が付随しているが、それがあからさまでかつ説得力もないのは無惨だ。あの歌声がそれなりに魅力的だとしても、いきなり50億人が魅了されてしまうというには説得力がなく、現実に自信のない高校生が、数十人の支持を得て救われる、くらいの描き方で充分ドラマは始まると思うのだが。

 さて通して観てもその感想は覆されなかった。誰もが指摘する終盤の主人公の行動とそれに対する周囲の大人の対応の不合理も、高校生が立ちはだかって虐待親が気圧されるとかいう描写も、本当に誰か関係者が指摘しなかったのか、それでも細田監督がいいと言い張ったのか、わけがわからない。どうみてもおかしな展開で、それを看過するということは、やはりアニメ的な安直な感動を優先しているということなのだろうと思うと、病理は根強い。あれで、現実に対してどんなメッセージが送れると思っているのか。

 例えば序盤で主人公の鬱屈の源である母親の死が描かれるが、そのシーンにもう落胆してしまう。増水した川の中州に取り残された子供救うために母親が助けに行って自分だけ溺死する。川に入ろうとする母親を子供が止める。止めたにもかかわらず母親が助けに行くことに対して「自分よりも他の子供を選んだ」という理屈でこの出来事がその後の主人公の鬱屈になるのだが、もうまるで腑に落ちない。現実には子供にはその行為の危険度を測ることはできないから、母親が行くとなればそういうものかと見送るしかなく、結果を知ってから呆然とするしかないはずだ。その行動についても、現に川岸にいる自分よりも相手の子供の方が危険に直面しているのだから、「自分よりも相手を」などという比較が成立したりはしない。単に主人公の自己肯定感の低さを要因づけるためのエピソードのこうした描写が、単なる理屈でしか配置されておらず、もう現実離れしていてがっかりさせられる。この感じは『おおかみこども』の父狼の死骸の処理をする清掃員の態度や『バケモノの子』の冒頭の親類の描き方にも感じた。書き割りのような悪役や状況を背景として主人公が「可哀想な人物」に描かれる。

 度々登場するネットの人々の「声」もそうだ。あまりに一面的に、陰影もない「ネット誹謗」を表す記号的表現にしかなっていない。

 古い細田ファンとしては、多くの人が言っている通り、誰か別の人の脚本で作品を作ってほしいと切に願うが、これほど無惨な本作がそれでもヒットしてしまうという結果を見て、細田脚本を変える必然性を主張する声はどこからも発せられないに違いない。

 惜しいことだ。

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