2015年6月7日日曜日

『王様ゲーム』(監督:鶴田法男)

 この間の『人狼ゲーム』つながりで、観てみたくなった。好物のSSSではあるが、この出来は到底容認できない。
 アイドルの一人や二人は拒否するものではないが、グループが総出演ということから予想されるレベルというものがある。
 だが、それさえ下回る劣悪な作品だった。こういうのが小説や漫画ならまだわかる。ましてケータイ小説なら不思議はない。コストがかからなければ、どれほど劣悪な作品だって、世に送り出される可能性があることに不思議はない。だが、映画となれば、関わっている人間の数も費やされる金もケータイ小説に比べると桁違いに莫大なもののはずだ。それが、どうしてこのように劣悪なままで完成まで至ってしまうのかは本当に不思議だ。
 誰が観たって、それこそ中学生が観たって、突っ込みどころ満載の、そこら中が破綻しまくった設定・展開・演出のオンパレード。なぜ誰かがどうにかしようと言い出さないのか。言い出していくらかは食い止めてそれでもこの噴出なのだろうか。脚本家は投げ出してしまったのだろうか。プライドも評価も。何が彼をそれほどに自暴自棄にしてしまったのだろう。
 一方で、いくら破綻があったって、面白ければいいのだ、というポリシーも、それはそれで認める。だがどこだ? どこに面白さがあるのだ?
 たぶん、もともと出演者を知っている必要はあるのだろう。キャラクターの掘り下げがまるでないことが、ドラマを全く感じさせない原因なのだが(だからサスペンスも喜びも悲しみもない)、画面に映った姿が、おなじみのアイドルであると感じられる観客ならば、その重ね合わせと、そのギャップとで、キャラクターを把握できるのだろう。つまり一見さんお断りなのだ。
 それにしても、アイドル映画でありながら、とりわけ主演の二人にこれほど魅力がないのもまた不思議だった。どうしてこんなに不自然に濃いメイクをして撮ってしまうんだろう。そういうキャラクターがどこかのファンには求められているとしても、それはどうみても高校生の役ではないはずだ。
 脚本がひどいことは言うまでもないが、映画の責任は監督が負うものだ。どういうわけで黒沢清や清水崇が鶴田法男を評価しているのかわからないが、とりあえず今までも感心できる鶴田作品を観ていないものの、といってそれほどひどい映画だとも思わなかった。だが、こんなにひどいものは初めてだ。これを消せない汚点だとは思っていないのだろうか。本人は。
 もちろん現場には一人ではどうにもならない空気だの流れだの情勢だのがあるかもしれない。どうしたって「面白く」はならないかもしれないし、時としてしょうがないかと諦めも妥協もする場面もあるだろう。だが、これは誰もが看過してしてしまっていいレベルの破綻か?

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