気乗りはしなかったが、初期OVAやTV版、マンガと旧劇場版3作はもちろん全て観ており、とりわけ『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を邦画No1と評価しているからには、何か、落とし前をつけねば、といった感じで観る。
劇場公開の短編をいくつかと、次の『首都決戦』のプロローグ的なエピソードをテレビの映画枠に収めた放送。
気乗りしないのは、これまで押井守の実写に総じて感心しなかったからだ。一部で評価の高い『アヴァロン』も面白くなかったし、劇場で観た『紅い眼鏡』ももちろん退屈だった(だが一晩中押井作品を観るという特異な企画で、明け方近くに観ていたラスト近くで妙に感動してしまったから、特別な印象はある)。
劇場版の押井監督の1,2は上記のように邦画の中でも特別の位置にある。だが、脚本の伊藤和典が書き下ろした1の小説版は、そっくりそのままの小説化であるにもかかわらず、まるで面白くなかったのが、実に興味深かった。映画はもちろん総合評価であり、「脚本も凄い」と思っているにもかかわらず、映画の凄みは、その小説にはまるで感じなかった。2の小説版は押井の手になるもので、こちらは映画とはかなり違った角度から書かれており、これは面白かった(押井の小説は『獣たちの夜 BLOOD THE LAST VAMPIRE』も面白かった)。
これは、映画に対する評価が、結局のところ総合評価でしかありえないことを示している。『バトルロワイヤル』の評価が高いことは原作の力ではなく深作欣二の力なのだろうし、先日の『生贄のジレンマ』も、仮に脚本が練り込まれたとしても、必ずしも良い映画になったとは限らないということだ。
で、『THE NEXT GENERATION -パトレイバー』だが、期待しなかった分、強い不満も感じなかった。むしろ意外と面白い、とさえ思った。
それでも、押井守のアニメに比べて、その力のないことは否定しがたい。
実写映画は、恐らく「現場」が存在することで、とにかく無駄な映像が山のように積み上がってしまうのだろう。最初から描くことでしか存在を許されないアニメと違って、その映像は、作品の緊張感をぐずぐずにしてしまう。アニメの押井作品のような特別な世界を現出させることはない。
『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がどれほどリアリティを目指しても、それは「実写のよう」になることではないし、『アヴァロン』があえてアン・リアルな映像を作っても、やはり撮影現場の空気感が作品からは感じられて、のめりこめない。
それでも実写映画を作るのは、やはり制作が楽しいからなのか? 単にオファーがそれなのか? 誰が押井の実写を求めているのか?
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