2016年3月2日水曜日

『クラウド・アトラス』(監督:ウォシャウスキー姉弟&トム・ティクヴァ)

 場所も時代も異なる6つの物語が、時空を超えてつながる壮大なドラマ…とか何とか言うテレビ欄の紹介で録画。だが2時間枠を2回分の前後編という長尺で、いつ観られるものやらと思っていたところ、珍しく夕飯後の宵が早い時刻から手空きになったので、ちょっと最初の方だけ、と思って観始めて、結局前後編一気に観てしまった。
 またしても、録画してから観るまでに時間をおいたら、監督も出演者も忘れてしまっていた。チープなのか信頼できそうなのかも、しばらくわからない。どちらとも感じられるような妙な手応えなのだ。役者も、どうもトム・ハンクスみたいな顔の男があちこちにいるなあと思っていたら、前編が終わって、次の週の後編を観始めて、映画紹介の時にそれがほんとにトム・ハンクスだとわかった。それを今更「みたい」と確認もてずにいたのは、現代劇の中で、いつものトム・ハンクスの顔で出てきていなかったからだ。
 「場所も時代も異なる6つの物語」が、細切れにされて、ミルフィーユのように重ねられ、束ねられて語られる。数分ごとに時代も場所もシチュエーションも異なる物語の中に、いきなり飛び込んでしまう。そのうち、それらの物語に共通する人物、小道具、設定があることがわかって、それぞれの物語がつながっていくのがわかる。例えばトム・ハンクスは、それぞれの物語の中で様々な人物を演じているのだなとわかってからは、フォレスト・ガンプばかりを探しているわけではなくなった。かなり特殊なメイクでいろんな人物を演じ分けているのはわかったが、エンドロールの「解答」を見るとそれでも見逃していたのもあり、トム以外の俳優については、もっととんでもなく意外な一人多役があったりもした。
 さて、映画の構成自体は大いに好みだった。どこからどこへ跳んで、そのつなぎにどんな意味を持たせるかは、頭の整理整頓がさぞや大変だろうなあと思いつつ、観ながらワクワクした。未来編の、超高層ビルの間を、細い橋のようなものを渡す逃走劇が、過去編の、帆船の帆柱の上を渡るシーンにつながる。こういうときには思わず、おおっとなる。
 だが、最終的には、どれかの話がものすごく良かったというようなことはないのだった。残念。どれも良かった、くらいの期待をしていたのだが。そして、ミルフィーユ構成も、その細切れの展開が、伏線とその解答というふうにかかわっている部分はそれほどなくて、たんなる細切れの乱雑なミルフィーユに過ぎなかった。
 ものすごく手間をかけて、たとえばチームで構成を練り込む、とかいう労力を惜しんでこれだけの大作を作るのはもったいない。

 ついでに、6編中の3編の監督、ウォシャウスキーは、その珍しい名前で『マトリックス』シリーズだとわかるが、残り3編の監督、トム・ティクヴァが、去年の私的ベスト10『ザ・バンク』の監督であることは、あとから調べるまで思い至らなかった。『ザ・バンク』の時に感じた圧倒的な感じはなかった。
 さらについでに、原作のデビッド・ミッシェルという作家が、ブログをはじめたばかりに取り上げた『君が僕の息子について教えてくれたこと』に登場した「僕」なのだった!

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