2018年8月16日木曜日

『運命じゃない人』-知的な構築物

 『カメラを止めるな』的な映画を、ということで『鍵泥棒のメソッド』の内田けんじの未視聴のデビュー作を。
 TSUTAYAなどにはたぶん置いていなくて(時間をかけて探したわけではないが)、YouTubeにアップされていた、何語だかわからない(少なくとも英語や中国語や韓国語ではない)字幕の入った動画で。
 3作目『鍵泥棒』と2作目『アフタースクール』の素晴らしさからは、どうしたって期待してしまう。こういう期待は無論危険なのだが、結局のところ、見事に期待に応える出来だった。素晴らしい。

 映画の中の場面は、年号や月日、あるいは前の場面に対する時間軸上の関係(「一か月前」とか)が示されないことには、それがいつのことなのかわからない。だから物語に緊迫したリズムを作るためには観客の中の時間経過の感覚を適切にコントロールする必要があるのだろうし、下手な映画は、前の場面に続く次の場面が、どれくらいの時間経過のあるつながりなのかを観客に誤解なく伝えていないことがある。
 つまり、画面に映された場面は、基本的には時間順なのだろうという前提で観客は観るしかないのである。
 この映画はこの前提を逆手にとって、場面が時間順に観客に示されるわけではないことを伏せて、「その時」がきたら、ああ、あの場面には裏にこういう展開があったのか! という驚きを演出するのだ。
 物語は、大きく三つの層で語られる。
 第一部は不器用な主人公の不器用な恋物語のようなものとして、それなりのほのぼのとした味わいを感じさせる。そしてそれはある意味では完結した物語として観られるように作られている。
 第二部は日を改めて、いわば「後日譚」が描かれているのだろうと、観客は上の「お約束」によって見ている。その観客の前に、突然見覚えのある場面が現れて、実は時間的にはこちらの方が過去のことだったのだと知らされる。物語が進むにつれ、いくつもの驚きが観客にもたらされる。そして、第一部のほのぼのとした味わいとは違って、こちらはハラハラしたサスペンスが感じられるように作られている(決して深刻なものではなく、ユーモラスではあるが)。
 ともあれ、この中盤の物語も、一応の完結(解決)をみて、すでに観客の満足度は高い。
 ところが驚いたことに、さらにここにもう一つの物語が重なってくる。やはり物語がある程度進んでいくうちに、見覚えのある場面やセリフが登場するに及んで、観客は、またか! という驚きの連続にさらされる。しかもこの3層目のドラマ性がまた高いのも見事だ。
 そして、すべての物語が終わって、いったん、エンドロールが流れ始めて、なんとそれが巻き戻る。結末にはもういちど、ささやかだが幸福などんでん返しがあるのである。

 知的な構築物を堪能した。

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