2020年12月15日火曜日

『運び屋』-自由で頑固

 ちょっと間が空いたが、クリント・イーストウッド監督作。かつ80代後半に入ってなお主演作。

 全体の印象は10年前の『グラン・トリノ』に似ている(そしてそちらでもうちの父親を連想させたが、こちらではさらに現在の彼を彷彿させる)。脚本家が同じなのだそうだ。

 あの作品でも既に親族にさえうっとうしがられている頑固親父の役だったが、こちらもそうだ。

 同時にその頑固親父が「古き良きアメリカの男」でもあるらしいのも共通している。そこでは相手を罵倒するような軽口が日常会話になっている文化が描かれ、それが明確にある種の文化であるらしいことが示されている。それを口にする相手との関係が重視されていたのだ。

 そこでは、それ故の時代遅れによる家族との齟齬とともに、多分イーストウッドの持ち味だろう、本質的なリベラルさが魅力となっている。

 本作でも、『グラン・トリノ』同様に異文化交流が一つのテーマになっている。それはかなり意識されているらしい。最初の農園ではメキシコ人労働者とスペイン語での軽口をたたく場面があり、「運び屋」として働くのはメキシコマフィアの下でだ。そこで相手を「タコス野郎」と呼ぶ時に、まるで悪気がないらしいのは、その後で道端でパンクした車を持て余している親子を助ける時に相手を「ニガー」と表現してしまうこととか、「兄ちゃん」と呼びかけたバイクのライダーが女性であったりする場面に共通している。頑固なアメリカの白人親父の文化と鋭く対立しそうな価値の多様化の中で、ポリコレなどまるで意に介しないように振る舞う主人公が、その対立自体を乗り越えてしまう自由さをもっているように描かれているのだ。


 最後に捕まってしまうシークエンスでは『パーフェクト・ワールド』的なもうひとひねりを期待してしまった。冒頭に出てきたメキシコ人従業員や、マフィアの構成員で、最初は主人公を嫌っていたが次第に関係を築いていったフリオがもう一度物語に絡んできて、さらに物語が展開するするような、脚本上の工夫があったら、文句なしに名作なんだが。

 そこは残念だが、とにかく途中も終わりも、すこぶる楽しくてしみじみと良い映画だった。

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