2021年7月9日金曜日

『星を追うこども』-あまりにひどい

  あまりにひどいので何かの間違いか(こちらが必要な情報を受け取ってないからか)と思って、翌日もう一度見直したがやはりそうではない。これは唖然とするほど酷い映画だった。

 唖然としたのは期待との落差のせいだ。新海作品と思わなければこれほど驚きはしない。そしてまたアニメーションの質の高さとの落差がなければ。

 質の高いアニメとはいえ、あの新海誠が何をジブリ擬きをやっているのか、まったく理解できない。ジブリっぽいということなら、米林宏昌作品、宮崎吾朗作品でさえ、これよりはましだと言っていい。「メアリと魔女の花」の最初のあたりにはワクワクさえした。「ゲド戦記」の旅は宮崎駿のイメージだとはいえ、本作のアガルタの旅よりよほどイメージ豊かだった(『アーヤと魔女』のひどさはいい勝負かもしれないが)。


 最初の違和感は序盤で、トトロと祟り神を足して2で割ったような化け物が登場するシーンの演出だった。いかにも恐ろしげな様子で主人公に吠えてみせるが、それでいてなぜ襲ってこないのかわからない。もしかしてこれは主人公からは怖く見えるだけで、化け物自身が怖がっているか戸惑っているということなのかと思って2度目に注意してみると、現れた「ヒーロー」が闘っているから、ちゃんと危険ではあるらしい。

 だが危険を証し立てる攻撃はしない。大きな口を開けて牙を見せて吠える。

 つまり単に虚仮威しなのだ。

 この、あまりに下手な演出に呆れていると、その後は全編がこの調子なのだった。


 面白いものを作るのは難しい。しかしひどいことになることをなぜ止められないのか。

 登場してたちまち主人公の心を奪ってしまう「ヒーロー」が、主人公とどういう関係なのか、何のために地底世界アガルタからやってきたのか、なぜすぐに死んでしまうのか、しかもなぜわざわざ岩の上から逆さまに落ちるのか(そんなことをすれば死体がどれほど悲惨なことになることか!)、といった当然の疑問を、どういうわけで観客に説明しなくていいと思えるのか、全く理解できない。観客はまるでオイテケボリなのだ。

 主人公がアガルタから地上にきた男と地上の女の間に生まれた子供であるという極めて重要な設定も、その気になれば推測は可能かもしれないが、それをさせるような導因が物語に埋め込まれていないから、マンガだか小説だかにあるという情報をネットで見て初めて知るばかり。

 なぜそのことを主人公本人が知ることの感慨を観客に味わわせなくてもいいのか。

 この構図は先日の『スーパーカブ』炎上問題と同じだ。アニメの観客には「それらしい」雰囲気だけを見せていればいいという判断なのだ。物語の辻褄、必然性がどうなっているのかを知らせる必要はない、と。

 だがそれではどのようにして登場人物の感情に共感して、物語の起伏に同調して、心を動かせば良いのか。


 アガルタがモンゴルのようなパタゴニアのような風景なのも、きれいなのはいいが、腑には落ちない。青空に白い雲を浮かばせてどうする。地底の異世界というなら「逆さまのパテマ」のようにクラクラくる世界観を見せるでもなし。

 世界設定といい物語の展開といい登場人物の行動原理といい、とにかく全編ツッコミどころしかない。


 そして悲しいことに主人公の女の子の不自然な幼さと序盤の「ヒーロー」の異様に優しい口調は、かなり気持ち悪かった。いずれも声優のせいではなく、演出のせいだ。

 物語がひどいと、そこに生きる人物までこのようにしか描かれない。

 本当に悲しいことだ。

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