2022年2月27日日曜日

『グランド・ジャーニー』-ちょっと冷める

 軽量飛行機に併走する渡り鳥を間近にとらえた映像は見たことがあったが、その実験を基に、その実行者である研究者が脚本を書いたというフィクション。元は学術的な研究でもある実験を、物語においては主人公の息子が成り行きから実行することになるので、味わいとしてはジュブナイルだ。

 少年の冒険談としては爽快だったり感動的だったりするのだがいささか荒唐無稽だと思えてしまって、いまいちのれなかった。最初のうちは、親の心配がリアルに描かれるとはいえ、途中からは冒険を応援するばかりになる。あっさり墜落して死んでしまうくらいのことはありそうだと感ずるのに。危険の度合いが実感としてわからない。「勇敢な冒険」の脳天気さにちょっと冷める。

 離婚した両親と少年を巡る人間ドラマは手堅く描かれていて、映画としてよくできているとも感ずる。

 肝心のフライトの撮影はものすごく美しく感動的。


2022年2月26日土曜日

『愛しのアイリーン』-価値ある映画化

 原作を20年振りくらいに読み返してから視聴。『宮本から君へ』や『ワールド・イズ・マイン』などの代表作や、最近完結まで読み切った『キーチ』の凄さには及ばないと思っていた原作だが、読み返して大感動だった。『宮本』と『WIM』に挟まれて、つまらないわけないのか。

 映画の方は、監督が原作を映画化したいと念願していてようやく、ということらしいが、こういう話は嬉しい。世の「映画化」の多くは、映画会社の企画で、監督が雇われて就いたのだが、そもそも原作愛もない、といったような場合が多いのが恐らく現状で、惨憺たる有様になるのが映画化の常だ。

 原作愛はあっただろうに惨憺たる結果になった『打ち上げ花火』のような例もあるとはいえ、基本的には、原作愛があれば、自分の作品がそれに抗しうるかどうかを考えずにはいられないはずだ。そこに誠実さとプライドがあれば、目を覆うようなことにはならないはずだ。前回の『ハロウィン』も同じだったろうから、完成度は悪くなかったが、それ以上の面白さが生ずるかどうかはまた別の才能やら偶然やらが必要ではある。

 本作はマンガ的誇張を受けた部分を現実的なレベルに着地させ、単行本6巻の内容を2時間にまとめた上で原作のエッセンスを活かして、見事な映画作品として成立させている。

 といって単なる絵解きではなく、安田顕も木野花も伊勢谷友介も、アイリーン役のナッツ・シトイも、確かな実在感でそこにいた。単なる原作の再現ではなく、実写映画にしたからこそ実現した、確かな価値だ。

 そして最後のシークエンスの雪景色もまた。


 不器用さと、それゆえに秘められた強い思いが胸に迫り本当に、思い出すとこみあげるものがある。


2022年2月13日日曜日

2021年第4クール(10-12)のアニメ

 とりあえず目を通すのに年をまたいでしまう。結局録画したものを観ずに廃棄したものもあり。


「鬼滅の刃 無限列車編」

 問題の史上最高興行収入映画をテレビ放送した後で、通常枠で同じ題名の連続放送をするのはどういうわけかと思って見てみる。ブームの火付けになったという旧シリーズの放送は2クール全て見ているが、それほど惹かれはしなかった。が、こちらは1回目から妙に面白い。どうもその面白さはこの映画の主人公の一人である煉獄杏寿郎のキャラクターにある。それ以外は旧シリーズと同程度。煉獄の、あまりに真っ当に真っ直ぐな精神のありようがシンプルに感動的だった。


「ブルーピリオド」

 原作マンガの評価が高いことは知っていたから、どんなもんかと思って観てみる。アニメの質は、回によって高かったり低かったりする。

 もちろんそれよりも原作由来の、青春の不安と熱気と切なさは確かだった。物語の起伏としては芸大受験という特殊性についての興味で引っ張っていきつつ、不安と昂揚も十分に喚起する。

 そして何より、「画を描く」ことに関する考察の深さは、本人にその経験があるからなのだろうが、それにしても丁寧に言語化されていることに感心する。

 

「さんかく窓の外側は夜」

 ヤマシタトモコの原作が素晴らしいんだろうけど、12話ワンクールの中で、霊払いのいくつかのエピソードとともに、主人公二人の過去編から「先生」との戦いまで、大きな流れも捉えて、最後は感動的だった。

 作画はそれほど質の高いものではなかったが、異界を映像化する難しさによく挑んでいるとも思った。


「見える子」

 軽く見られるホラー・コメディ。同じクールに吸血鬼ものが何本もあるなあとここ数年、よく思っていたが、今クールでは「霊の見える人」物が「さんかく…」とともに並んだ。

 主人公の家の朝の団欒風景の終わりに、仏壇の前に来たときに父親の写真が飾ってあって、さっきからいた父親が既に死んでいたのだとわかるエピソードなどは、設定を活かして見事だった。


「takt op.Destiny」

 SFとしては、結局クリーチャーのD2って何で、何を目的にしているのか、とかムジカートという、少女をロボット化して闘わせるという、何やら不健全な欲望の設定がどういう仕組みなのかとか、この1クールの中では描く気がないらしいので、どうも満足感が満たされないのだが、戦闘シーンのスピード感だけは恐ろしくレベルが高かった。


「海賊王女」「サクガン」「エウレカセブン・ハイエボリューション anemone」は途中まで観ようと思って録っていたが途中で投げた。


2022年2月12日土曜日

『ハロウィン』-凡作

 名高いオリジナルは未見で、今回はロブ・ゾンビのリメイク。

 少年時代のマイケル・マイヤーズが不気味だったが、長じてのブギーマンは『13日の金曜日』と変わらず、印象はかなりあっさり。特筆すべき演出やらアイデアはないと思った。

 その後でオリジナル版も観てみると、後半の展開はほとんどそのままだったが、少年時代が長いことと、主人公のヒロインとマイケル・マイヤーズの関係が描かれたりして、ロブ・ゾンビ版はかなり盛り沢山になっているのだった。

 にもかかわらず、全体の印象は明らかな低予算のオリジナル版と、それほど変わらず、結局二つの家をまたぐ追いかけっこにハラハラする、という趣旨は変わらないのだった。そしてそのハラハラ度合いは、情報量が上がったリメイクより、シンプルなオリジナルの方が上だったりする。

 なぜだ。不思議だ。

 カメラワークとか編集のタイミングとか諸々の要素なんだろうか。

 それとも安っぽい画面の日常性が、殺人鬼との落差を生んでいるんだろうか。

2022年2月10日木曜日

『オッド・トーマス』-縁のないエンタテイメント

  何だか絶賛評価もあって観てみる。

 だが最初から説明過多なナレーションに違和感があるし、画面が妙に安っぽいのも気になる。映画とテレビの中間くらいの手触り。一旦止めて調べてみると『ハムナプトラ』の監督なのか。興味のないタイプの映画を創る人なんだ、ととりあえず思う。死神らしきクリーチャーのCGもチャチく、不必要だとしか思えないが、『ハムナプトラ』はまさにそういう映画だったんだろう。

 主人公との会話のテンポはアメリか映画らしい愉しさだと思えたのだが、全体としては安い話だとしか思えない。犯人は途中で、いかにもという感じで登場するから意外性もない。サスペンスもアクションも、まあそこそこ。

 絶賛評価が不思議だが、『ハムナプトラ』のヒットもあるので、こういうのが面白いと感ずる人もいるんだろう。


 ラストだけ、「霊が見える」設定を活かした、うまい落とし方で切なさを感じさせるが、それなら伏線を張る場面でもうちょっと工夫して、回収時にカタルシスを生むような描写をしてほしいところ。むろんこれは、バレては伏線にならないので難しいところでもあるが。

2022年2月6日日曜日

『名前』-テーマ回収の浅さ

 道尾秀介は最近『N』の宣伝に心惹かれているが、最初に読んだ『向日葵の咲かない夏』ががっかりだったのでどうしたものかと思っているのだが、その道尾秀介原案だという、ミステリー仕立てのドラマ。

 とはいえ、それほどのミステリーがあるわけではない。前半の謎が後半、視点を変えることで明らかにされ、さらに両方を通して仕掛けられるミスリードがドンデン返し的な真相に至るという、それだけ聞くと面白そうなのだが、実際にはそれほどの感嘆もない、ミステリーとして見るには食い足りないお話だ。

 だからもちろんドラマとして観るべき映画なのだ。

 そうした点からは、主演の駒井蓮が好演していたとはいえ、演出的にはやりすぎだと思えるキャラクターだったし、何よりもテーマであるはずの「名前」がまるで生きていなかった。

 いくつかの偽名を使って暮らしている中年男が、なぜそんなことをしているのか、一応説明はされているがまるで共感できないし、偽名を使い分ける生活にもリアリティがない。それを可能にしている工夫とか偶然とかが描かれるわけでなし、細部が描かれるでなし。

 本当の名前を名乗ることが本当に相手に向き合うことなのだ、というテーマ設定もあまりに見え透いている。偽名を使う切実感がないから、テーマ回収も別に感慨はない。


 さらに、主人公の中年男とヒロインの女子高生の関係に納得がいかない。擬似親子のような関係として描かれているのだが、親子のようだというにはあまりにリアリティに乏しく、それを装った男女関係なのだとするとそれはそれでリアリティに欠けていて気持ち悪い。

 その不安定なところが狙いなのだとわかる分、却って始末が悪い。


 それでも、映画の終盤で主人公とヒロインが夜通し歩いて明け方のバイパスらしき道路でお喋りするシーンは、その薄青い空気感が否応なく郷愁を誘う。なぜ夜通し歩く必要があったのか物語的な必然性がわからないし、お喋りの内容も陳腐なのだが、やたらと懐かしい感じがして、結局、結構良い映画だったんじゃないか、というような錯覚を残してしまう。

 とはいえ劇中劇の清水邦夫の「楽屋」も別に活かされていなかったし、やはり脚本も演出もうまくはいっていないと思う。

 役者陣は良かったが。

2022年2月5日土曜日

『Knives Outナイブズ・アウト』-間然するところのない

 『パラサイト』と『ジョーカー』の年に、映画館で、テレビで予告編を観るたびに気になってはいた。豪華キャストで描くまっとうなミステリー。アガサ・クリスティ的なというのは監督が意図したところだというのだが、なるほどそういう映画として間然するところのない出来だった。ドンデン返しとハッピーエンド。

 あまりにうまい映画は『LOOPER/ルーパー』の監督なのだったか。しかもどちらも脚本も書いてるというのだから恐るべき才人だ。


『THE GUILTYギルティ』-すさまじい緊迫感と焦燥感

 ちょっとだけ冒頭を観ようと思って開いたら緊迫感がすさまじく、既に遅い時刻ではあったがそのまま終わりまで観てしまうことにする。

 警察の緊急通報室で完結するある意味SSS。しかし事件はそこで起こっているのではなく、電話の向こうで起こっている。しかしドラマは確実にこの部屋で起こっている。

 電話で伝えられる情報でのみ、事件の輪郭を描いていくしかないという意味で、観客の認識は主人公と完全に同化している(映画中の時間経過もほとんど上映時間と一致している)。少しずつ事件の概要がわかってくる。電話でできる限りの指示や情報収集をしていくが、現場に駆けつけられないことも、情報を求めるのに受動的になることも、灼けるような焦燥感を生じさせる。

 動きのないままカットが変わらないという意味では『箪笥』『A Ghost Story』にも劣らずカットが長い。どうした、と思うほど何も動かないままカメラが切り替わらない。その間カメラは主人公の顔のアップのままだ。

 それなのに、『箪笥』『A Ghost Story』に感じたようなもどかしさ、苛立ちはない。緊迫感・焦燥感が持続しているからだ。

 かように演出と演技が極めて高いレベルにあるのはもちろんだが、そこにはやはり脚本の出来が不可欠。情報の制限が主人公と観客のミスリードを誘っておいて、徐々に真相がわかってくる巧みさも、事件の展開とともに少しずつ明らかになる主人公自身のドラマがからみあっていくのも、感嘆するほど上手い。

 これほどの低予算で、これほど面白くなるのは映画制作にとって大いなる希望にちがいない。

2022年2月2日水曜日

『さんかく窓の外側は夜』-無惨な絵解き

 先日のアニメに続いて、原作の前半まで読んだのだが、やはり原作はアニメ以上に素晴らしいのだった。で、こっちはどうなんだろうという興味から。


 で、まったく何もない。原作の面白さはことごとく抜け落ちて無惨な絵解きがあるだけ。あらためて原作の面白さを考えて、抜け落ちた要素を考えたりもしたのだが、もうそれを書くことさえ虚しい。