2024年10月5日土曜日

『対峙』-赦す

 高校における銃の乱射事件といえばいかにもアメリカでありそうだという気がするが、ウィキペディアではたとえば「2006年から2017年までに271件」の銃乱射事件があったとある。あまりに茶飯事になって、日本人には特定の事件が記憶に残らない。

 そうした「ありそうな」事件の一つの、自殺して既にこの世にはいない犯人と被害者、いずれも当時高校生だった2人のそれぞれの親が「対峙」する、というのが本作の設定だ。セラピストが仲介し、教会の司祭館らしき一部屋で4人が「対峙」する。原題は『Mass』(集まる、の意)。

 評価が高いことから観始めたのだが、なるほどすごい。会話劇としての脚本から俳優4人の演技まで、設定の重さに釣り合う緊密なドラマを生み出している。演技のすごさは演出の確かさでもあろうし、それをまた見事に撮影・編集している。

 こういう設定で両者が話をするとしたら、どんな話になるか、という想像をできるだけリアルにしてみる。感情を抑えようとしたり、それでも抑えきれず吹き出してしまう感情があったり、問いかけたり問い詰めたり(でもそれはセラピストには止められているはず)、責めたり駁したり、吐露したり隠したり。

 そして赦す。

 それを実行するために、この会合を開いたのだ。


 会合の舞台が教会で、聖歌隊が練習している声が漏れ伝わるのが、関係者に対する祝福のように聞こえるのは、まったくわかりやすい演出ではある。

 それならばもう一歩、映画としては冒頭の二人が、最後に物語に関わってほしかったとも思う。ないのかい! とツッコみたくなった。

 それがあったらさぞ余韻も深かったろうに。


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