それでも、主人公の車のフロントグラスに自殺者が降ってくるし、ヒッチハイクしたドライバーは殺し屋を雇って自分を殺させるし、街では暴動が起こっているし、「終末」感を出そうというお約束的描写はある。が、もうすぐ終末、という絶望感とか狂気とか、予想されるほどの(あるいは期待するほどの)暗さがないのは呆気ない感じだった。主人公が、それらの終末的バカ騒ぎに乗れない、生真面目な、あるいは醒めたキャラクターだというのは好意的に思えるのだが、周囲との落差がもうちょっと出ないとなあ、という不満はあった。
それと、決定的な不満は、主人公二人が互いを「掛け替えのない存在」として認めるまでの期間が短かすぎるだろと感じられてしまうところだ。ここは本当に難しいところだと思う。ロード・ムービーとしては、旅の道連れが互いの存在に浸食し合うような過程が描かれるべきだし、描かれていると思う。それはむしろ、うまいとさえ思う。
だが、そこにはもっと節度が必要のようにも思う。もう状況的に互いしかいないという状況で、とりあえず目の前の相手に対して誠実であろうとする、という努力のような形で二人が最後の時を過ごすように描いて欲しいと思ってしまった。あんなふうに唐突に相手を「最愛の人」と言ってしまうのは、安っぽい「吊り橋効果」なんじゃないか、と。
映画の制作陣が『エターナル・サンシャイン』と重なっているというのだが、この印象はそういえば『エターナル・サンシャイン』のラストにも感じた。そこまではいいのだが、「愛こそすべて」みたいになってしまうラストが説得力には欠けて、がっかりしてしまう、という感じ。
物語の核となる、二人の関係の描き方がこんな感じだったから、全面的に賞賛する気にはなれないでいたのだが、細かい設定を把握していない気もして、冒頭からとばしとばし、早送りも交えて見直してみると、印象はだいぶん違ってきた。良くできた脚本に、演出も案外巧みなのだった。
映画としては、どうあがいても日本映画が敵わないようなハリウッド的制作態勢の賜物といったタイプの「映画力」があるわけではないが、一度目の時にも感じた、細かい伏線の張り方とか印象的なエピソードの作り方のうまさがあらためて感じられて、映画全体の印象はかなり肯定的になった。主人公のハーモニカを物語中の重要な場面にさりげなく配置して、その由来がわかったときに、ああそうかと思わせる、とか、家政婦の移民らしいおばさんや実直に仕事をする警官の登場、海岸で過ごす夢のようなひとときの描写とか、豊かな映画力に溢れた映画だったのだ。
そういえば見直してみたとき、原題の『Seeking a Friend for the End of the World』が、冒頭近くの壁の貼り紙にさりげなく書かれていたのに初めて気づいた。やはり、これがテーマなのだ。そうだとすると、終末に家族と過ごすという絶対的肯定的選択肢以外の選択をわざわざする主人公二人の選択の必然性をどう納得させるか、という点についてのみ、配慮は認めるもののいささかの不満は残る。が、映画全体の印象はすこぶる良い。
映画の中でかかるオールディズは素晴らしかった。ヒロインが「最初に買ったレコード」がエンド・ロールで流れるのだが、バカラックのロマンチックなメロディーが切ない。
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