2016年11月27日日曜日

『首吊り気球』 -奇想の現前は遥か

 とりあえずホラー映画を観たくて。伊藤潤二のマンガが適切に映画化できるとは思えないが、とりあえずホラー映画になってればいいか。だが伊藤潤二のマンガはそもそもホラーではあるまい。怖くなどない。奇想漫画とでもいうべきものだ。全体があの線で埋め尽くされた画面でなければ、あの奇想は現前すまい。精密なアニメなら、あるいはそれらしいものは作れるだろうが、それはホラー映画ではあるまい。実写映画でホラーを作ろうとして、だが伊藤潤二のマンガを原作とすることにはほとんど意味はない。
 で、結局『首吊り気球』は悲惨なコメディになっていた。合成の特撮では、怖いわけもなし、といって奇想が現前するはずもなし。程度の低い悪ふざけにしか見えなかった。
 オムニバスとしてそれぞれが独立した作品だから、清水崇の『悪魔の理論』は、特撮ではなく、人間の心理サスペンスを描いて良かった。
 三宅隆太の『天井裏の長い髪』は、テレビドラマのクオリティで、どうでもよかったが、この人、ラジオで宇多丸と実に奥の深い映画談義をしているのだ。あの造詣で、作品はこれか、というこの落差はなんなのだろう。

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