2019年6月16日日曜日

『キングコング:髑髏島の巨神』-怪獣映画のバランスの悪さ

 『君の名は』を観に劇場に行ったときに予告編を観て、こういうの、映画館で観ると楽しそうだなあと思っていた。さて、テレビではどうか。
 まあそうなるとやっぱり脚本なんだよなあ。そこは残念ながら特別なものではなかった。先の展開に手に汗握るというようなことはなく予定調和で。というかむしろ予定調和的に手に汗握らされたが、まあ予定調和的には大団円になるのだろうと思うからそれほどのサスペンスはない。
 主役のトム・ヒドルストンがちっともかっこ良くないのも、本人のせいではなく演出のせいだし、物語のせいだし、ヒロインのブリー・ラーソンも、別に何でもなかった。可憐だとか凜々しいとか。
 むしろキングコングが雄々しくてかっこいいのは狙い通りなのかもしれないが。
 怪獣映画は、ただもう逃げ回るしかない災害のようなものとして怪獣を描くか、戦うべき敵ととして描くかで物語の方向が大きく変わる。『シン・ゴジラ』は災害でありながら、日本国としてそれに立ち向かうというスタンスにリアリティがあった。
 一方『モンスターズ』や『トレマーズ』などは、現実的な対抗手段を工夫する余地があった(そもそも怪獣としても適度にサイズが小さい)。
 このあたりはゾンビ映画で、ノロノロゾンビか走るゾンビかという選択にも関わる問題だ。対抗するなら対抗すべく釣り合った要素を人間側に用意しないとならない。ノロノロゾンビなら工夫次第で生き延びられそうだという期待を、走るゾンビならば、とにかく逃げるサスペンスを。
 だがキングコングほどの怪獣で、かつ孤島に孤立した部隊では、立ち向かいようもないことが明らかなのに、それでも戦う気満々な男たちを描くから、見ていてそのリアリティのなさにがっかりしてしまう。怪獣が、災害として逃げ回ることしかできないような対象として描かれていることと、人間の振る舞いが物語の論理として撞着しているのだ。
 そういう意味でこの怪獣映画のバランスの悪さには残念に思わずにいられない。
 こういう据わりの悪さは、スーパーマン映画で、スーパーマンのすごさを描くほどに、人間の振る舞い方にリアリティがなくなる問題とか、「ディストラクション・ベイビー」が「暴力の狂気」を描くことに失敗している件などと同じだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿