2020年4月5日日曜日

『夜明け告げるルーのうた』-イマジネーションの奔流

 『崖の上のポニョ』なんじゃねえの? という先入観があって、録画してすぐに観ようとは思えなかったのだが、ハードディスクから移そうと思って観る。
 もちろん悪くない。画面いっぱいに湯浅政明アニメの快楽に満ちている。海辺の街の上下に落差のある空間も、カメラが自在に回り込む動きも。寒天の様な水の描き方も。
 が、とても面白かったというには満足度は低い。
 音楽も悪くないが、それに合わせたダンスシーンはディズニーアニメであり、ミュージカルだった。そういうのに反応する感覚器官がないのだ、たぶん。
 ではドラマとしてどうかというところだが、これがどうも弱い。
 鬱屈した少年が前を向く話、という骨格はわかる。でも、出だしからそういう可愛くない主人公の言動に、もううんざりしてしまう。食傷気味なのだ、最近のアニメでは。
 この主人公をはじめとして、登場人物の感情の表出がどれも類型的で、描かれる葛藤も、人物像も、結局ドラマも類型的になる。ルーの父親は、まあ「人」ではないものの、活け締め師の件りなどは意味不明で、まあ娘を助けたいという行動原理だけはわかったが、そうなるとそれはそれで類型的になる。人魚全般がどうもよくわからない。
 そもそもルーがわからない。音楽が好きらしいという属性はわかるが、どういうわけで主人公に好意を持ったのかわからない。人間全般に好意を持っているという描き方なのかもしれないが、そうすると、主人公との関係における特別さはなくなってしまって、おそらくドラマとして成立しない。主人公との間での特別な好意の交換が必要なはずなのだが、その必然性がわからないのだった。とにかく「好き」なのだ。こういうのをご都合主義というんじゃないのか。
 「お陰様のたたり」だという津波の襲来も、どうも物語的な必然性はわからないのだが、ともあれそこからのスペクタクルはアニメ的イマジネーションの奔流に圧倒された。
 この、アニメ的品質の高さだけでは満足できないのは、もうそういう観客だからしょうがないのだった。

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