2020年4月22日水曜日

『ダカタ』-抑制的でいて切ないSF

 その昔、岩井俊二が褒めていて、レンタルで観て、なるほどよくできた映画だと思ったが、細部はすっかり忘れたまま20年くらい経って、ここ数年は宮台真司が随分高く評価しているのを何度か耳にしていたので、観直したいとは思っていた。
 20年以上前の映画だが、今観直しても、画面の感触がまるで古びない。予算に対して効率的な撮り方をしているんだろう。金属やらプラスチックやらのツルツルした感じと古い車やスーツなどのオールドファッションなガジェットが入り交じった未来。縮尺の狂ったようなでかい建造物をバックに撮影される場面。SF映画としてのルックは申し分ない。
 そういうことで言えば『ブレードランナー』が極北だが、あれとは違ってドラマがしっかりしているのがいい。

 遺伝子が人生を決めてしまう未来社会に、遺伝的「不適格者」と判定された主人公が、宇宙へ行く夢を諦めずに、遺伝子の検査を偽って宇宙への夢を実現させる、というストーリーだけ辿ると、まるでスポ根のような話だが、物語の感触はそれよりずっと切ない。
 努力をして結果を出すと認められるというわけではなく、遺伝子が既にある段階での判定を出してしまっているので、そこはもう偽るしかない。優れた遺伝子を持った協力者の運命も切ないのだが、自分の正体が知れることを恐れて過ごす日々がもう重苦しい。SF映画としてはディストピア物と言ってもいい。
 その中で宇宙への夢をつかみ取るのは、「成功」ではない。劇中でも何度も暗示されているように、恐らく彼は宇宙で生きてはいられないのだ。遺伝的な心臓疾患によって。
 劇中に語られる、遺伝的に優れた弟との「チキンレース」遠泳は、完全に生きることの暗喩になっているのだが、死ぬことを賭けて進むことをやめなかった者が、ある壁を突き抜けられる、という危険と隣り合わせの挑戦は『グラン・ブルー』の素潜りを思い出させる。

 物語の強さというだけでなく、今回観直してあらためて、作劇のうまさにも感心した。
 一つには映画の制約を逆手に取ったトリックだ。ズルいともいえる。映画の中で長い時間が経過すると登場人物を演ずる俳優が変わるから、子供から大人に成長した人物の一貫性が、そう説明されなければ観客にはわからない。実はこの人物はこの人物と同一人物でしたと、小説ならば可能なトリックが、映像作品では普通はできないのだが、このやりかたなら可能なのだ(この間の『情婦』ではマレーネ・ディートリッヒの演技力で強引にやってみせていたが)。
 それがわかっていくつかの場面を観直してみると、なるほど、そういう伏線が張ってあるのだ。
 だがしかし、これは初見ではわからないから(映画の観客はそれほど考えながら観ていないので)、映画を一度観ただけでは、この工夫には気づかず、物語はあっさりした印象にとどまる。

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