2020年4月2日木曜日

『HAPPY HOUR』-5:17の至福

 長い映画だと聞いて『牯嶺街少年殺人事件』と混ざっていたせいで4時間だと思っていたらさにあらず、5時間17分なのだそうだ。しかも二枚組のBDのディスク2から再生してしまったのを気づかず、とりあえず出演者インタビューはオマケだと認識したものの、本編の方はそれが冒頭なのかと思って観始めたのだった。
 何やら面白い。登場人物の顔がとにかく絶妙に画面に映る。そのタイミングも表情も、実に多くの「意味」に満ちている。『桜桃の味』と違って、日本人の文化圏に属しているという前提があるせいだろうか、そこに多くの「意味」を読み取ることができるのである。必ずしも簡単に言葉になるとも言えないような様々な、微妙な「意味」を。
 もちろん脚本の緻密さと演出の問題ではある。聞いたところではほとんどが素人の役者だというのに、そんなことはまるで感じさせない。場面によってはドキュメンタリーかとさえ思わせるほどの自然さであり、かつカメラの切り替えと編集は神業とさえ思われる。
 一人だけ、いくらなんでもこの棒読みはなかろうと思われる長台詞の登場人物がいるが、それさえも、観ているうちにそういう、珍しい喋り方をする人なのかと思われてくる。
 数十分観て、どういう物語なのかわからないが、観ているだけでわくわくして、これはすごいと思いつつもその日は一旦止め、後日観直すにあたって確認したらディスク2だとわかったのだった。
 休みを取って、昼間から全編通して観る。冒頭から観ると、なるほどこういう物語かとわかる。わかりにくいところはない。だがそのわかりやすさが、やはり必ずしも言葉になるわけではない。実に微妙な心の揺れ、綾を画面に描いているのだ。
 物語は30代後半と思われる4人の女友達が、互いの支えにもなりつつ、それぞれの人生に彷徨する苦いドラマを描く。
 一人は離婚経験があり、一人は離婚調停の裁判中であり、後の二人はそれぞれに幸せな結婚の形を見せながら、不穏な空気も感じられるように描写していって、最後にはそれぞれの家庭の危機を描きつつ、結局はいくらかの希望を残して終わる。離婚調停も、不調に終わるのだが、だがそれが別の始まりにつながりそうな予感も残している。
 この、苦さに対する希望が題名の「HAPPY HOUR」なのだが、観ている時間が、まさしくそれなのだった。画面に溢れる情緒の豊穣が、どの瞬間にも、ほとんどワクワクと言って良いほどの面白さなのだ。

 5時間以上という長尺は、確かに劇場での上映としては興行的に難しいだろう。が、その気になってしまえば面白いことは間違いないから、劇場で集中して観ることができれば、特別な鑑賞体験になるはず。
 とはいえ5時間というのは、ロードショーの通例として長いということであって、テレビドラマとしては1クールの1時間ドラマよりも短い。観られないような長さではない。
 だから坂元裕二あたりの、よくできたテレビドラマと同じように観られるかというと、そういえばそうなのだが、ではこの映画を分割してテレビで放送できるかというとそれは難しい。前半のワークショップや後半の朗読会などは、やはりテレビ視聴者には長すぎて我慢ができないだろう。これの鑑賞には集中力も持続力も必要なのだった。
 感触としては是枝裕和の『ゴーイングマイホーム』が似ているが、あれも低視聴率に苦しんだとか。おそろしく面白いテレビドラマだったが。
 『いだてん』や『ごめんね青春!』の歴史的低視聴率といい、良質のドラマの苦戦は、テレビという場の特性故とはいえ、切ない。

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