2014年8月30日土曜日

「君が僕の息子について教えてくれたこと」「A-A'」追記

 昨夜書いた「君が僕の息子について教えてくれたこと」から連想したあれこれについては、ツイッターの方でも「この感想は不謹慎ではないはずだ」と書いたとおり、「面白い」という表現が誤解されるかもしれないという可能性をかすかに危惧している。ましてSFを連想し、異星人やアンドロイドを引き合いに出して「君が」や「この星」を語ろうとすることがさらに反発をまねくのではないか、とも思う。
 だが私が「君が」や「この星」に感じる面白さは、いわゆる「センス・オブ・ワンダー」だ。文字盤無しでは日常会話ができない東田さんが、あのように文法の整った文章を書ける不思議! そして書き上がった文章を元に講演したときにはまた何を言っているのわからなくなるというシーンにまた驚く。外に表れた通常のコミュニケーションのありようからは、彼の内面がどのようなものであるのかは、知ることができないのだ。それが、ワープロの文字変換を通して、またその応用である文字盤を使った会話において初めて、あのように共感可能なものであったり、やはり不思議な世界認識であったりすることが知れるのだ。これこそセンス・オブ・ワンダーである。そして日頃「表現できないことは考えてもいないんだ」なぞと言っている自らの言動を深く反省したりするのである(私にそう言われた方々、本当に申し訳ない)。

 今回私が連想した「A-A'」については、「これって、今時はやりの高機能自閉症のことじゃないの?!」と書いているブログを今日見つけてしまい、やはり同じように考える人がいるのだと納得した。
 →「萩尾望都「A-A'」に驚嘆する」(「わにの日々-アラフィフ編」より)
 2年前に書かれたこのブログの記事では、「うちの若息子はガチでADDなので、色々、ADDに関する文献を読んだりしましたが、かくいう私自身がADDだった。」と書かれていて、「A-A'」について「萩尾氏の先見の妙というか、人間観察の目の鋭さに、今更ながら驚きました。」と評されている。そのような前提があって読むと、なるほど「A-A'」はそのように読める作品なのだった。
 「A-A'」についてはクローンという目を引く題材を扱っているから、語られる切り口も専らクローン人間という設定をめぐってのものだ。確かにそこでは「アイデンティティの分裂」というテーマが興味深い。あの彼女を前の私の知っているあの彼女と同一人物として認めて良いか? 自分が他にもいるとしたら、この自分は何なのか?
 だが以前から私はそれよりも「感情の表現が普通と違う人の感情のありよう」というテーマに奇妙に惹かれるものを感じていた。ラストシーンで無表情のアディが無表情のまま流す涙に同調してこみ上げてしまうあの感動が「この星のぬくもり」と同じだとは、今回の「君が僕の息子について教えてくれたこと」が両者を繋ぐまで気づかなかった。

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