うちには「ヨルムンガンド級」という言葉があって(というか私が使っているだけだが、子供にはもはや通じるようになっている)、これは戦艦をドレッドノートに因んで「超弩級」とかいうときと同じ、ある基準、水準を意味するのだが、「ヨルムンガンド級」というのはそういうわけで「世界蛇(ヨルムンガンド)のように大きな」ものを指すというわけではなく、マンガを評するときに、「最高水準である」ことを示す我が家だけに通用する表現だ。言うまでもなく「ヨルムンガンド」とは高橋慶太郎の、あれである。
「ヨルムンガンド」の最初の3~4巻くらいまで買った頃から、この作品は私にとって最高水準の評価を維持しているのだが、同じような時期に同水準のマンガをいくつか読んで、それらをまとめて「ヨルムンガンド級」というように個人的に意識するようになったのだった。例えば『刻刻』(堀尾省太)であり、『ナチュン』(都留泰作)であり、『GUNSLINGER GIRL』(相田裕)であり、『ナツノクモ』(篠房六郎)であり、『BLACK LAGOON』(広江礼威)であり、『HELLSING』(平野耕太)であり、もうちょっと遡れば『MOONLIGHT MILE』(太田垣康男)であり、『プラネテス』(幸村誠)であり、『無限の住人』(沙村広明)である(もちろんこんな列挙では到底網羅してはいない)。私見では、この水準のマンガは前世紀には十数作を数えるのみだったのが、今世紀に入って俄に数倍増したと思う。上に列挙した作品はそれぞれ、前世紀のマンガ作品群に置いてみれば、突出した水準で屹立したはずだが、今世紀においてはマニアックで「知る人ぞ知る」作品として割拠しているように見える。で、この中で特に優れているというわけではないが口に馴染んだのがたまたま「ヨルムンガンド級」という言い方だった。「ナチュン級」ではあまりにマニアックすぎるかも、というくらいの選択だ(そもそもうちの子ですらまだ『ナチュン』を読んでいない。たぶん)。
で、読んだ本のことをちゃんと覚えておけないから、ある程度まとまってからようやく単行本数冊をまとめて読むのが常である現在の私なのだが、それでも高橋慶太郎の『デストロ246』は、単行本を見つけるのに合わせて間をあけてでも一冊ずつ読んでしまう。4巻も、まあ3巻から半年だから、前巻の展開がすっかりわからなくなっていて、という程の支障もなく、買ってきた十冊くらいの本の最初に手をつけてしまう。
この中で、天才女子高生が「ハリウッド映画とか、アレじゃん。全部とは言わないけど『家族の絆』みたいなのにオチつくのばっかじゃん!」と言う場面があって、あれっと思った。最近観た「ハリウッド映画」が立て続けにまさしくそれだったからだ。『マイレージ、マイライフ』(原題:「Up in the Air」 監督:ジェイソン・ライトマン)と『マイ・ルーム』(原題:「Marvin's Room」 監督:ジェリー・ザックス)。
二本とも堂々たるA級映画であり、実際に良くできていて、面白かった。「ヨルムンガンド級」とはいわないが、良い映画だと言っていい。だがどちらも結局「家族の絆が大事」って映画だよなあ、と思っていたところにちょうど『デストロ246』の台詞がカブって、タイムリー! と思ったのだった。
長い前置きの割に言いたかったのはそれだけ。
そういえば『デストロ246』も『マレフィセント』と同じく、男が何もできないお話だ。だが別にここにある符合に特別な意味づけをしようなどという気は、毛頭ない。
0 件のコメント:
コメントを投稿