結局、放送終了から遅れること2ヶ月で、ようやく録画しておいた最終回を見終わった。もちろん最近の三谷幸喜と違って、木皿泉に外れなしだ。まあクドカンのようにはいかないが。
前に書いたとおり、「奇妙な不穏さや悲しみを背後に隠した穏やかな空気」に満ちたドラマだった。主人公テツコの住む家には、テツコの夫と、義理の母という二人の死者の存在がまだそこここに残っていて、それでも残された義父と二人で暮らす奇妙な、けれど真っ当な生活が、美しいオープニング映像や題名にもある「食事」によって象徴されている。あちこちに実に頻繁に食事のシーンが描かれるのは無論意識的である。生きている者は、食べるという行為に象徴される生の営みを止めることはできない。そのことを自覚しつつ死者を思い、忘れていく。
惜しむらくは、テレビ的な要請によるものか、やはり明らかにテレビ的なノリのおふざけがそこら中に演出されている。もちろんクドカンのようにそれで笑えるようなレベルのギャグではない。といってほのぼのとしたユーモアを感じられるところが心地良いというわけでもない。もっと思い切って真面目にやっていいのに。木皿泉のファンはそれを望んでいるんじゃないのか? 「すいか」のように。
もちろんそんな冒険をしてしまうと、視聴率を期待するのが難しくなってしまうのかもしれないという恐れがテレビ側にあるのだろうが、たとえば「半沢直樹」だって「家政婦のミタ」だって(観てはいないが)、軽いノリでふざけることによって視聴者に媚びるようなことなしに高視聴率を獲得したのだろう。何がその作品の価値なのかを、素直に、当たり前に、率直に、真っ当に追求してみれば、木皿泉の作品はこういう風にはならないはずなのに。
だが実は、もしかしたら木皿自身がこういうタッチのドラマを望んでいるのかもしれない、とも思う。笑わせようとか、軽いノリで気まぐれな視聴者に迎合しようとかいう気ではなく、あくまで、ゆるゆるとしたあの空気を、木皿自身が望んでいるとしたら、ファンはそれも含めて享受しなければならないのだが。
三木 茂
返信削除ヤングデイズの立役者
あいつ無しでは完成しなかった。
今色んなドラマで活躍してる。
応援よろしくネ
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