2015年4月20日月曜日

映画5本

 『見えないほどの遠くの空を』について書き倦ねて1ヶ月ほど経ってしまったという事情は前々回書いたが、それで滞っていた間の映画鑑賞について、まとめて記す。まとめてかまわないくらいに、書くことが思いつかない。

『風立ちぬ』(監督:宮崎駿)

あらゆるメディアに批評が出回りすぎて、今更感想が言えない。初期ジブリのように、問答無用に「面白い」とは言えないが、感動的だと感じたのも確かだ。子供向けとは思えないのだが、一緒に観ていた高校生も中学生も面白かったと言っていた。だがその面白さが、これと指摘できる形では意識できないのだ。
 ただ、『見えないほどの遠くの空を』を観た直後にこれを観たことが何やら妙な偶然ではある。堀越二郎こそ「遠く」を見続けた人ではないか。

『エヴァンゲリオン 劇場版Q』(監督:庵野秀明)

前がどうなっていたのかとか、全然思い出せないまま、とりあえず決着をつけなければという義務感で観るのだが、とにかくわからない。たぶん、前作を見直してもわからない。とにかく凄い作画のオンパレードであることだけはわかる。だが、物語的にも、アニメーション的にも、何が何やらわからない。画面の中で動いているものが、どういう状況のどの部分なのか、どういう全体像の物体のどの部分なのかがわかるように描かれているのかがそもそも怪しい。
 もちろん例によって「AC」(アダルト・チルドレン。当時の言い方では。その後の言い方では「厨二」)全開の台詞回しは、ひたすら鬱陶しい。映像演出と言いこの台詞回しと言い、観客に対する嫌がらせを意図的にやっているのではないかというのは、あながち邪推でもない気がする。

『サブウェイ123 激突(The Taking of Pelham 1 2 3)』(監督:トニー・スコット)

よくできたパニック・サスペンスだが、どうも、主演のデンゼル・ワシントンが『アンストッパブル』を連想させるなあと思っていたら、監督が同じだった。調べてみるとデンゼル・ワシントンでは『デジャヴ』も観ている。『エネミー・オブ・アメリカ』も観てるな。だが『トップ・ガン』は観てない。そうか、トニー・スコットという監督は『トップ・ガン』の人か。
 さて、映画としてはよくできてはいる。デンゼル・ワシントンもジョン・トラボルタも文句なくうまい。が、脚本がどうにも。ラストへ向けて、どんな予想外の展開が待っているのかと期待していると、何も起こらずに終わる。うーん、もったいない。こんなにうまく映画を撮る人なのに。

『ネスト(原題:The New Daughter)』

なぜ英語の題名なのに、同じ英語で邦題をつける? そして、どちらにせよ、あまりにわかりやすく映画の内容を予想させて、本当にその通りなのだ。
 ケビン・コスナーだというのに、なんだこのB級感は。家族のドラマかと思いきや、そのままクリーチャーもののホラーなのだった。それなのに、あの家族の葛藤は必要? あった方がドラマに厚みが増すということもあるんだろうが、どうにも不整合のまま。
 肝心のクリーチャーは、宇宙からやってきた生物とかいう設定ではないのに、今までどうやって生きてきたのか、全く不明。そして、姿を現すまでは凶暴そうなのに、姿を現すと気持ち悪いが、弱い。どうにもならない。

『ももへの手紙』(監督:沖浦啓之)

『人狼』は、やはり押井守の世界に引っ張られてそれなりの面白さがあったのだろうが、『もも』ではすっかりジブリだ。『トトロ』だの『千と千尋の神隠し』だの『もののけ姫』だののモチーフが見え隠れして、まるで新味はなし。台風の近づいてくる雨雲や風の描写などがすばらしいアニメーションではあったが、『ネスト』と続けて一緒に観ていた娘も一言「つまらない」だった。結局、脚本なのだ。ここでもまた、毎度のことながら。
 これだけのアニメーション・ワークが、『エヴァンゲリオン』同様、単なる贅沢な蕩尽に終わっている。そしてそれが快感になっているわけでもなく、ひたすらもったいなくて、残念。

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