2015年4月29日水曜日

映画版『寄生獣』

 もちろん期待はしていない。山崎貴に期待していないのだが、あの『ALWAYS 三丁目の夕日』や『永遠の0』の、映画人による高評価は何なのだろう。もしかしてヒット作を生む監督は、それだけで業界から大事にされるということなのだろうか。『リターナー』だけは、息子の小さい頃に一緒に見て、面白かった記憶があるのだが。
 で、実に予想通りのつまらなさだった。
 原作を、3話読み切りだった最初の短期連載の時から読んで、大いにハマってきた十数年来のファンには、いくつかの改変がどうにも納得できない。深夜に放送しているアニメも、1話だけ見て、どうにも情けなくなってしまったのだが、どうしてわざわざ原作を変えるのが、よりによってつまらない方向なのだろう。原作をそのまま、ひたすら良心的にアニメにした『虫師』のような素晴らしい仕事は、しかしクリエーターには軽視されてしまうのだろうか。
 改変が、虚仮威しに「すごい」と言わせたいのだろうという意図が見え透いている演出に傾いて、あの、愚直にリアリティを追った原作の凄さを損なっている。例えば島田をしとめた石くれの遠投を、どういうわけで弓で射るという演出にするのか。あそこは、寄生獣の細胞によって能力の高まった新一とミギーの共同作業として、あの遠投に説得力と凄みを感じたのに、弓なんて、新一の能力を感じられないばかりか、どうして突然、弓道の達人になれてしまうのかも、ミギーの細胞がどうして糸状になってまであの強度を保てるのかも納得できない。
 原作と違うところをいちいちあげつらって、だから駄目だというつもりはない。原作が、読む者を否応なく興奮させていく力をどうしてもっているのか、むしろ謎ではある。その分析にこそエネルギーを使うべきかとも思う。とまれ、改変にケチをつけなくても、そもそも、島田の校内での凶行とそれによって起こるパニックの演出はなぜあんなに平板なのか。
 あ、それはそういえば、テレビ放送用のカットのせいなのか?

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