2018年10月25日木曜日

『湯を沸かすほどの熱い愛』-うまい映画だが誇大広告

 宮沢りえ演ずる母親が病気で死ぬ話だということはわかっている。きっと「感動ポルノ」なんだろうとは思うが、評価もされていることだし、具体的にはどう描くんだろうという興味があった。
 さて、予想を大きく違えているわけではない。そして予想通りには感動的だった。
 とりわけ、杉咲花ずる娘が、初めて生みの母親と対面する場面では、今、あの伏線が回収されたんだとわかってハッとさせられたところに、だからこそ宮沢りえ演ずる母親の愛情が感じられて感動的でもあり、加えて対面する二人の演技があまりに見事で、ここを撮りあげただけで、この映画が作られた価値はあると感じた。
 演技については、杉咲とともに数々の女優賞を獲った宮沢りえの演技も見事だったが、妹の子役の演技も見事で、これは演出のうまさだろうな。

 総じて感動的でもあり、伏線を張ってちゃんと回収する、うまくもある映画だったのだが、いくらか気になった点を二つ。

 ネットでは絶賛と激しい拒絶反応の両極端がかまびすしいのだが、批判の集まっているポイントの一つである、序盤のイジメに対する物語上の扱い方には確かに違和感があった。序盤だったから、これはダメな映画なのかも、とさえ思った。
 イジメに対して「逃げちゃダメ」というのは、一般的には間違った対処だ。娘が解決のためにとった行動も適切だと思えない。およそ非現実的で映画的な奇矯を気取った、あざとい物語作りだと思う。
 とりわけ学校が、あんなあからさまなイジメに対して無作為であるはずがない。こういう描き方をされると、リアリティの水準が落ちてがっかりする。
 だが結局問題なのは母親の対処の仕方だ。あの、どうみても間違った対処は、それが間違っていることがわかってあえてあのように描いているのならば、それも選択の一つかもしれないと、最後まで観てから思えてきた。
 暴力団に対抗するのに警察の力を借りるのとは違うのだ。たかが学校の中でのできごとは、本人の力で解決すべきものだと考えるのは一つの方針かもしれない。もちろん一般にそれが難しいことはわかっている。それでも、大人が介入して解決できないほど難しいケースばかりではない。だから中学生くらいならば、現実的な解決の方法を考えるべきなのだ。解決しないでいるのは知恵と勇気が足りないだけ、というケースは多いはずだ。
 もちろん「知恵と勇気」をすべての中学生に要求するのがそもそも難しいのだが、だからといってそれを要求するという姿勢が一概にダメだということにはならない。
 問題は、そこに立ち向かう本人に対する援助はするが、問題の解決に親が直接関与しない、という方針であることを、本人に感じさせておくことだ。
 でもまあ、解決策の方法についての相談はしてもいい気はするが。実際に勇気を出すのはどうしたって本人にしかできないとしても。

 あと、ピラミッドはばかばかしくて感動的とは思えなかったし、ラストの「オチ」は気が利いているとは思いこそすれ、それも感動的ではなかった(といってネットで見られるような拒否反応が起こったりもしなかった)。それよりも、最後に題名が画面に現れた瞬間の「そういうオチかあ!」という軽いカタルシスの方が勝った。
 だが、である。肝心の「湯を沸かすほどの熱い愛」って、映画の中でどう描かれていたっけ? わりと普通の母親の愛情だとしか思えなかったが。
 題名詐欺だ。誇大広告だ。

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