2022年8月27日土曜日

『ダークナイト』-とびきりの

 クリストファー・ノーランの「バッドマン」三部作としては、これしか手放しでは賞賛できないのだが、これはまたとびきりの名作でもあるのだった。ものすごい密度でエピソードが詰め込まれて、そのどれもが印象的でありうるのは、物語的な感情の揺さぶられ方と映画的な描き方の巧みさが高度に結びついているからだ。

 前に観たときの記憶は、ヴィラン、ジョーカーが投げかける問いが「トロッコ問題」と「囚人のジレンマ」を応用した問いであることに興味を惹かれたのだが、そうした「問題」によってこの映画がすごいというだけではないのだと、今回あらためて再確認した。


 ところで一緒に観ていた娘が「情緒がなくて1ミリも面白さがわからない」というので驚いた。「情緒がなくて」は最近『悪の教典』で感じたことだ。確かに展開の速さは観る者の情緒をおいてけぼりにしかねない。が、いや、そんなことはない。三池演出とノーラン演出はまるで違う。その展開のスピードに観客がついていけるぎりぎりの細部を描きながら展開していくから、密度が高いまま恐ろしい情報量をつめこめている。

 やはりとびきりの名作。

2022年8月26日金曜日

『アフタースクール』-ミスリードとどんでん返し

 内田けんじの3作ではこれを最初に観た。『鍵泥棒のメソッド』でさえこのブログ開始時より前に観たものなので、いつだかわからない。とにかくミスリードとドンデン返しが見事な、恐るべき作品だと思った覚えはある。

 が、今回観始めてみるとどういう真相だったのか、ちっとも思い出せない。どうみても「ミスリード」されたまんまの凡庸な事件に見える。これがどうひっくり返るんだろうと思っていると、なるほど、ちゃんとひっくり返される。やはり見事で感心する。


 もう一つの感心ポイントは、あそこだよなあとは思っていたが具体的にどうだったのかは忘れていて、今回観てやはり感心した。

 ヤクザとも関係のある探偵が、人間の「汚い」部分を指摘して、大泉洋演ずる中学教師に向かって、学校という空間で過ごしてきたお前のような奴は人間がわかっていない、と言う。これに対し、教師は「お前には何があったんだ?」というだけで、はっきりした反論をしない。学校空間の甘さを指摘されてやりこめられているように見える。

 だがこれが物語の終わりに、事件が逆転した後で、今度は教師が探偵に、お前みたいな生徒はいっぱいいる、世の中がわかったような口をきくが、世の中がつまらないのは自分のせいだ、と言う。決して反論のために言い返しているというような調子ではない。だがこれは鮮やかな視点の転換で、カタルシスがあってなおかつ希望的な人生観を提示している。

 よくできていて感動的。内田けんじの3作はどれもそうだ。

2022年8月25日木曜日

『インターステラー』-手間のかかった奇跡

 冒頭からしばらくの、緩やかな終末の描き方からもうSFとしてのレベルが高いことはありありとわかる。

 全体としては、そんなうまく偶然がはたらくかよという一種の「スーパーマン映画の不可能性」があちこちに起こっているのだが、それで冷めてしまうには全体としての考証の手間に圧倒されてしまう方が大きくて、結局は感動的になっている。

 なるほど感動はある種の奇跡が引き起こすが、奇跡は確率的な低さに根拠づけられているから、それが安っぽいと冷めるのだ。

 堂々たる大作で、実によく考えられた感動作だった。

2022年8月24日水曜日

『悪の教典』-三池節

 原作は面白かった。主要なミステリー賞を総なめにしてるからという予断で読むと、これがミステリー? という肩すかしはあるが、そのやり過ぎ感と疾走感は楽しかった。

 それに比べると映画はどうにも三池節の大味が残念。やや丁寧に描かれたアーチェリー選手対殺人鬼のくだりだけはちょっと観られたが、全体としては情緒に欠ける大量殺戮が残念だった。もうちょっと一人一人のキャラクターを描いてくれないと。

 こういうののお手本はやはり『バトルロワイヤル』の原作でありマンガ版だ。

2022年8月21日日曜日

「ももさんと7人のパパゲーノ」

 NHKの特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」は思いがけない拾い物だった。加藤拓也の脚本と演出のリズムが巧みで、新しいものを観ているという興味が持続する。

 だが最後まで観て、自殺というテーマについては、特に共感も、何か批評的な感想も抱くことはなかった。

 それよりも、日々蓄積される憂鬱をどうやり過ごして、どう生きていくかについての、いわば柔らかな着地といったような解決が、心地良い描写の終わりに、ささやかな満足として得られたのだった。

 加藤拓也、次はどんな作品で出会うか。

2022年8月13日土曜日

『パーム・スプリング』-完成度の高いループ物

 高評価なのが幸いしているが、そもそもループ物はとりあえず。

 最近『明日への地図を探して』を見たばかりなのでどうしても比較してしまう。映画的描写としては『明日への』はあまりに巧みだったから見劣りしかねないが、こちらも、映画的にも脚本の出来も相当なものだといっていい。

 新しくループに巻き込まれるヒロインの視点を共有する観客に、主人公が、実はかなり前からループをしているというのが徐々に明らかになる。この「さまざまなことが徐々に明らかになる」というお話作りが実にうまい。二人の他にもう一人、ループに巻き込まれている男がどのようにしてそうなるにいたったか、とか。

 そしてループ物の問題は、まずはその事態をどう受け入れるかと、どうやってそれを抜けるか、だ。『明日への』でも、同じようにループに閉じ込められた者同士の共感から、関係をどうつくっていくかがテーマの一つであり、抜け出そうとする者とそのまま繰り返したいと思う者の対立がもう一つのテーマであった。

 そして抜け出すための努力。結局どちらも科学的な厳密さは所詮無理な要求なのだから、そこへ向けて創意工夫が描かれればいいのだ。どちらもヒロインが擬似科学的なアプローチに取り組んで最後にループを抜ける。

 そういえば『明日への』ではどうやって抜けたことを描いたんだっけ? と考えてみて思い出せないので見直すと、時計が24時を過ぎることを描くとても静かな描写なのだった。

 それに比べて本作は「翌日」が来たことをユーモラスに描きつつ、エンドロールの途中で、まだループの中にいる男の視点から描き直すという、巧みなエピソードづくりが楽しかった。

 J・K・シモンズの存在感ある演技によって、最後の場面といい、ループをこの男がどう受け止めたかを描く場面といい、物語に味わいを確実に増している。


 ところで舞台のパーム・スプリングという土地に対する感情は日本人には想起しにくいが、たぶん避寒地として、脳天気な土地というイメージではあるのだろう。

 その平原を首長竜の群れが移動していく場面が2回あるのだが、あれはどういうふうに理解すればいいのか。繰り返されている無限の時間を、並行世界での時間の流れの中に置くと、これくらいの悠久の時間が経っているのだぞ、という比喩なんだろうか。

 そういえば同じループ物として『トライアングル』にも、リセットされるなら存在するはずのない「蓄積」が描かれる場面があって、それを映像的な比喩として見ればいいのか、ループに伴うもう一つの超常現象として見ればいいのかに迷ったことがあったが、この首長竜は印象的ながらそのあたりのもやもやもある。 

2022年8月10日水曜日

『1408号室』-想像の恐怖

 適当に高評価のホラーを、と思って見たのだが、後から調べてみるとこれもスティーブン・キング原作なのだった。なるほど、終わってから思い返すと『シャイニング』と同工異曲なのだった。どちらもホテルそのものにせよ一室にせよ、邪悪な「場」が人を狂わし害するという。

 最初の方はずいぶん脅されたせいで怖かった。主人公がホテルのホテルの支配人にさんざん脅される。どれほど怖い目に遭うことやらと思ってしまうのは、主人公より観客の方だ。

 とはいえ、主人公は一向に怖がらないかといえばそんなことはなく、わりあいすぐに音を上げる。当然だ。物理的な攻撃で身体を傷つけられるからだ。

 一方でそういうことならすぐにでも人間などは死んでしまうほかなく、そうならずにジワジワと怖がらせて、そこから逃げるためには死んでしまうしかない、という方向に誘導するのが趣向としては面白いはずだ。

 急に大きな音がするとか、幻覚を見るとかいった分かりやすい怖さの他に、何よりも怖いはずの子供の死をもう一度体験し直す、というイベントが並ぶが、結局、後へいくほどつまらなくなっていった。

 期待させているうちが最も恐いのは想像が怖さを生んでいるからだということははっきりしている。せいぜいがそれを演出していくしかないんだろうな。物理的な攻撃はあっさり人間が死んで終わりだし、精神的な攻撃はびっくりモノのホラーとして下手物だし。 

2022年8月9日火曜日

『IT: Chapter Two』-前作には及ばず

 前作は映画館で観た。そのせいかその年度のベスト10に入れてる。そんなに高評価だったような記憶はないのだが。

 まあ楽しい映画だったとは言える。適度に怖く、しかし後味は良く。ホラー映画でありながら、ジュブナイル物として感動的だったんだ、確か。

 となると大人編はどうなるのかと当時書いているが、さて。


 手触りは前作とほとんど変わらなかった。ホラーとギャグが混ざってテンポよく繰り出されている。エンタテイメントに振り切って友情と勇気で敵を倒す。

 だが完結編は前作ほどには面白くなかった。前作と違う面白さはなく、前作にあった少年団の友情物語としての面白さは、主人公たちが大人になってしまってはもう同じように無邪気には受け入れられない。

 前作でも感じたが、物理的な攻撃と精神的な攻撃のバランスはやはりよくわからなかった。

 大人は、基本的にはトラウマを克服できるかどうかが勝負になっている。恐怖に負けるとやられる、というような法則があるように見える。かと思うと、いたいけな子供が牙のいっぱい生えた口でかじられてあっさり殺されてしまう。それはどんなトラウマに負けたということなのだ?

 物理的な攻撃が恐いなら大人だって恐いはずだが、単に勇気を出して立ち向かっていれば攻撃を受けないという安易な対抗策で結局は勝ててしまうのだ。どうも法則がはっきりしない。

 前作は子供たちが主人公で、なおかつ大半は親との葛藤の克服がテーマだったのだが、大人になってしまった主人公たちには、また別の葛藤とその克服が描かれてほしかった。


 最も怖かったのは、老婆が実は化け物だったというシークエンスで、主人公の背後で老婆が不審な動きをする、という演出だった。その後で結局化け物として近づいてくるときには、ビックリはするが、恐いというよりほとんど笑えるくらいの「やり過ぎ」感満載で、それはまあこの映画全体のテイストなのだった。

 それにしても老婆の全裸が恐いというのは、『VISIT』といいこの映画といい、何かアメリカ人のトラウマに関係しているんだろうか。

2022年8月7日日曜日

『ザ・ハント』-内面への好奇心

 「マンハント」というジャンルがあると言われればそんな気はする。それにあたるものはいくつも見ている気はする。それを前提に、そのまま原題も『THE HANT』なのだった。途中に「荘園」と訳されている言葉が何度も口にされる。字幕版では「領地」だった。なるほど、奴隷制を前提とした私有地のことらしい。かつての格差社会を前提とした言葉が、今日の格差社会に対する批判的なガジェットになっているらしい。あきらかに左右対立、アメリカにおける共和党と民主党の支持者、労働者と支配層、ネット民と経済民の対立が背景になっている。

 とはいえ、そういう社会風刺的な面よりも、素直に生命の危機に対する戦いのサスペンスと勝利のカタルシス、アクションの展開のスピード感が楽しめる映画だった。

 そして何よりヒロインのキャラクターが秀逸なのだった。監督クレイグ・ゾベルの演出なのか主演女優ベティ・ギルピンの演技なのか、思い切りのよさと、どんなものなのかはわからないが何かの感情が強く動いているらしいことが同時に描かれる。終盤で笑ったときに、そこまではまるで笑っていなかったらしいことに初めて気づく。逆にそこまでは、ほとんど無理矢理とも言えるくらいに口をへの字にしているのだ。そのギャップが観る者の好奇心をかきたてる。こいつは何を考えているのかと注意を引く。基本的には生き残ることに貪欲だが、どうも単なる負けず嫌いもあるらしい。しかも強烈な。あるいは戦いの中で自分の能力が発揮されることに喜びを見出しているのか。

 そんなふうに人物への好奇心がかきたてられつつ、応援し、その勝利に喝采し。


2022年8月1日月曜日

『明日への地図を探して』-丁寧な作り

 紹介から「ループ物」なのだとわかっていて観始める。最初のシークエンスの、「ばかっこいい動画」風の長回しが、もううまい。何度も繰り返しているから次の展開がわかって、そのタイミングで的確な動作をできるんだな、と観客は理解する。だが女の子をナンパするプールサイドでは、何度もそのタイミングをはかって試行錯誤を繰り返すシーンが描かれて、なるほど、こうしてそこまでの「ばかっこいい」も成功させてきたのかと納得する。

 そこに、それまでのパターンになかった行動をとる闖入者が現れる展開の鮮やかさも見事。なるほど、もう一人のリピーターなのか。『エンドレス』の時は予告されていなかったからびっくりしたのだが、こちらは最初から男女二人がループの中にいると予告されているから、びっくりこそしなかったが、演出としては鮮やかだ。

 かように、とにかく描写が巧い。脚本と演技と演出と編集がかみあって、ポップでエモーショナルな細部が詰め込まれている。街にはいろんな小さな「奇跡」が起こっているのだとわかって、それを探すシークエンスは、音楽の良さも相俟って、映画的な喜びに満ちていた。

 物語はループを抜けたくないヒロインがどうやってそこを乗り越えて「明日」へ踏み出すかと、どうすれば抜けられるかの方策をさぐる試行錯誤が後半の展開で、主人公がヒロインとの関係をどう作るかがそれを貫いて描かれる。それぞれに細かい工夫が凝らされていて、丁寧な作りだと感心する。

 挿入されるパロディに笑わされたりもするが、アメリカのサブカルチャーに詳しければまだ見つかっていないパロディもあるのかもしれない。

 感触としては、ともかく愛おしい映画で、この愛しさは「終末物」における『エンド・オブ・ザ・ワールド』に匹敵するかもしれない。