2015年2月13日金曜日

『トライアングル 殺人ループ地獄』

 前に一度言及したが、うまくタイミングが合って息子と観ることができた。CMが夏のものだった。ブログ開設の直前あたりに録画したものだ。

 「ループ物」と呼ばれる作品群がある。小説でもマンガでも映画でもゲーム(やりはしないが)でも、多分多くの愛好者がいて、日本でも外国でも次々とそうしたモチーフの作品が作られている(ネットにその手のサイトがいくつもあるし、『世にも奇妙な物語』でもそう分類される話がいくつもあるそうだ)。「涼宮ハルヒ」の「エンドレスエイト」、押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、北村薫の「ターン」、『ミッション:8ミニッツ』『バタフライ・エフェクト』『シュタインズ・ゲート』『ひぐらしのなく頃に』…。忘れがたい印象を残すいくつかの作品とともに、繰り返す時間が一度きりの、「ループ」まではいかないタイムリープを含めれば、ほとんどのタイムマシンSFもいれて、このジャンルにくくられる作品は枚挙にいとまない。
 「エンドレス・エイト」の「夏休み」や「ビューティフル・ドリーマー」の「文化祭の前日」など、終わって欲しくない時間が永遠に繰り返されるのは、明らかにある種のユートピア願望だろうし、たとえそれが楽しい時間でなくても、繰り返される閉ざされた時空間のイメージは、「人類消失物(もしくは「人類滅亡物」)」(これも数えれば枚挙にいとまない)のイメージとともに、逆説的なユートピアのイメージを横溢させている。
 あるいはその世界(あるいは「セカイ」)が心地良いものでないとしても、物語は、料理のしかたで面白くなることが約束されたシチュエーションだといっていい。物語構造の原型が魅力的であるだけに、作り手としてはアイデアの盛りこみに意欲が湧くし、受け手はサスペンスや懐かしさ、切なさなどの感情を揺さぶられやすい。
 勿論料理次第だ。この映画が面白かったのも、そうしたループ物の王道のもつワクワク感を充分に感じさせながら、部分的には意外な新味をもたせたり、丁寧な伏線の張り方をしたりと、誠実に面白い映画を作ろうとしているからだ。
 B級感満点のどうしようもない邦題にもかかわらず、いやはやどうして、今回見直してみてもやはりよくできていた。CGの粗さも気にならないどころか、むしろ妙に画が綺麗だぞと思えたのは、モニターが画面の小さい古いブラウン管テレビだったせいかもしれない。あるいはこちらが積極的に美点を数えようとしていたか。
 毎度ストーリーの説明をしないこのブログの原則に従ってここは省略バージョン(というか、詳しいストーリー説明をするブログが世の中には多いが、あの親切心はすごい。だが説明しないにもかかわらずネタバレは厭わない極悪)。
 クルージングで難破したところに通りがかった豪華客船に乗り込むと、人気がない。お、この感じは『ゴースト・シップ』だ、と思っていると幽霊船なわけではなく、殺人鬼が銃で襲って来る。予想外だ。しかも、あっとゆう間に主人公以外の登場人物が全て殺されてしまうのはさらに予想外の展開だ。こういうのは時間をかけて一人ずつというのが定番のはずだが。
 こういうのは、いわゆるSSS(ソリッド・シチュエーション・スリラー)だ。これもまた好物である。
 さて、序盤で一人になってしまって後はどう展開するのかと思っていると邦題にある「ループ」に入るわけだ。題名を忘れていると、お、こいつは「ループ物」だったのかとわかって、いやがうえにも期待が高まる。だが、となればもちろん殺人鬼が主人公自身であることは予想はつく。だが2巡目に入っても殺人鬼になる様子がないのに不審に思っていると、さっきと違うパターンに展開するから、まるで同じ繰り返しではないルールなのかとわかってくる。さらにこのループ構造が単純ではなく、自分が殺人鬼の立場になるまでループ3回を経るというのがこの映画の捻りの利いているところだ。客船の中に3人の「自分」が同居しているのだ。
 さて一通り伏線を回収し終えて、ループも経験し尽くしたと思ったところでまだ映画の終了まで時間がある。どうなるのかと思っていると、ほとんど物語の主要部分と関係ないかと思われたオープニングの場面につながるのである。またしても予想外の展開に、全く予想外の結末。おー、ここまで捻っているか!

 これ以上のストーリー説明はやめる。2点ほど、今回気づいたことを。
 題名の「トライアングル」は、このての映画にありがちな「英語なのに邦題」かと思いきや原題だ。主人公が難破するクルーザーの船名が「トライアングル」なのだが、もちろん題名に付けるなら、そちらの船名ではなく、謎の客船(幽霊船かと思われた)の「アイオロス」にすべきじゃないのか? と思う。といって船の難破にかけて、かの「バミューダ・トライアングル」を連想させようとしている様子もない。では船名という以上に何が三角形なのか?
 おそらく、船上でのループが3回で、3人の自分が追いかけっこをするという小さなトライアングルと、クルーザーと客船と自宅という三つの舞台をループする大きなトライアングルが入れ子になっているという物語の構造を表現するものとして「トライアングル」が題名として選ばれているらしい。なるほど。

 もう一つ。登場人物の一人の死体が何十体も「溜まっている」映像は衝撃的で、映画の中でも見所の一つだ。だが、あんなことが起こるなら「ループ」にはならない。出来事の痕跡がそのまま残るのならば、主人公たちが客船に乗り込んだ際の船内の状況がどんどん変わってしまう。
 同じように、下水溝に落としてしまうペンダントや同じ内容の何枚ものメモの散乱も、ループを表現しつつ、その物語構造を主人公に(あるいは観客に)気づかせていく物語の「神」からのヒント/手がかりのようなもの、あるいは幾度もの殺人がこの船上でループしていることを象徴的に表している、いわば心象風景であって、物語世界の基本ルールからは外れていることを受け手としては無視しなければいけないのだと思っていた。
 だが今回見直して違う見方もあるかもしれないと思い直した。このループは、前回と同じでなければならないという縛りがないのが「基本ルール」らしい。とすると、その誤差が、謂わば吹き溜まりのように船内の目立たないところに少しずつ蓄積していくという隠れた基本設定があるということなのではないか?
 だが船内の食堂の食べ物が短時間で腐っていた描写などは、やはり「実はこの船は長いことループし続けているのだ」ということを表現しているだけで、設定的な整合性はないのかもしれない。本当に時間がループし続けているとしたら「実は長い時間が経っていて」も何もない。ループの外側にあって不可逆的に経過する時間など存在しないのだから。とするとやはりこれらは「基本ルール」から外れた「雰囲気」表現に過ぎないのだろうか。
 とまれ、確かめようもないことなのでこれ以上の考察はやめる。ともかくも工夫の凝らされた脚本と、丁寧な演出で盛り上がるサスペンスに拍手を送りたい。佳い映画だった。

 ついでに、ラスト近くに出てきた学校のチアリーディングの練習らしき風景が妙な印象を残している。ロケ撮影の時に撮影現場の近くで偶然行われていたのが背景に写り込んだだけ、というわけでもなさそうである。その後で物語の動きに従って画面の中にチアリーダーが登場するからである。とすればあれはわざわざ監督がそうしたエキストラを動員して撮影しているのか? 何の必然性があって? 物語的にはまるで必要ないのに。
 なんだかその日常性が、物語の緊張との落差で非現実的な光景のような印象を醸し出しているのだ。何だあれは?
 もしかしたらやはり、チアリーディングの練習風景自体は偶然の背景で、監督の機転でそれを利用すべく、その中の誰かをエキストラに雇ったということなのだろうか?

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