ところで冒頭で岩井俊二が「ホラー映画といっていいかどうか…」といいながら、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』を挙げたのはびっくりした。
『ツィゴイネルワイゼン』は何度も観ている映画であり、印象も強い。前任校の遠足で鎌倉を訪れた際には、映画の中で何度も藤田敏八が通る「釈迦堂の切り通し」に行きたくて、一人で鎌倉駅から歩いて、立ち入り禁止の切り通しに忍び込んで隧道をくぐったりした。
しかも最近読んでいた山田太一の『逃げていく街』に「ツィゴイネルワイゼンの夜」というエッセイが収録されていて、これが突出して素晴らしい文章だったのだ。エッセイではあるけれど、どうみても意識的に『ツィゴイネルワイゼン』の世界、空気を再現しようとしている文章で、3回くらい読み返してしまった。
そこへ岩井俊二である。
ところで、上記のエッセイ集で、かつて映画会社で助監督をやっていた山田太一が、映画について書いたり語ったりする事に慎重になるという趣旨の事を書いている。
その理由は…一つは、映画についての物言いは、つくる労力に比べて、どうも軽すぎてしまうという傾向にある。…下らないワンカットでも結構大変だってことを知っている。そうだよな。それはそうだ。だからこそそのワンカットが「下らない」ことを惜しむし、価値あるカットだとしても、それが「下らない」物語を成立させることに奉仕しているにすぎないことを惜しむのだが(むろんこのブログの感想など、まさに軽い、ということは承知のうえで)。
ということで最近の映画評あれやこれやが辛口であることの自己正当化。
ところで宇多丸の映画評はやはり楽しくて、今日も車の中で『Stand By Me ドラえもん』の酷評を楽しく聞いていた。山崎貴映画は「下品だ」との評に、作品を観ていないこちらも快哉を叫びたくなったりして。とはいえ、高評価の場合も楽しいのだが。しばしば「作り手の志が高い(低い)」という言い方をするところが、実に腑に落ちるのだ。
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