2019年5月18日土曜日

『ホットロード』-残念な映画化

 尾崎豊とは同世代だが、デビュー時からああいう感性が嫌いだった。なのに、支持層を同じくするだろうと思われる紡木たくの作品には激しく心揺さぶられてきた。
 そこに能年玲奈である。期待など微塵もしていないが、いわば落とし前をつけるように観てみる。
 それにしても尾崎豊支持層が、今のEXILE TRIBE支持層につながっていることを今更ながら思い知らされるのだが、その間に連続性はあったのだろうか。意識していなかったから実感としてわからない。
 そしてもちろんEXILE TRIBEに対する共感も関心も微塵もないから残念ながら面白くはない。原作の、関心のない部分でできている映画だった。もちろんそういうのを求める層があるのならしょうがないのだが。
 それにしても能年がそうした支持層に嵌まるのだろうか。無理があるとしか思えなかったが。
 紡木たくの作品の魅力は、この世代の「どうしようもなさ」を自覚的に描いていることがわかるところだ。視点の多角性と主人公たちの感性にのめりこむように繊細に描くことと同居している。そうした視点があってこそ、まるで共感のできない尾崎豊的感性も、ようやく許容できる(本当に尾崎豊的なのかどうかは実はわからないが)。その時、その切羽詰まった息苦しさや切なさにも共感できるのだ。
 映画では利重剛の演ずる教師にわずかにその視点の多角性が託されているが、いかんせん分量として足りず、むしろその視点すら主人公側からは「あちらがわ」として描かれているように感じる。原作では、作者がそうした多角的な視点から物語を捉えていることが充分わかるからこそ、主人公たちの認識がいたずらに視野の狭いものであることから救われているのに。
 ということで予想通りであり、能年玲奈という才能+この時期の可能性が可惜失われていくここ数年が残念でしょうがない。

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