2019年5月18日土曜日

『ハドソン川の奇跡』-期待通りであることのすごさ

 「ハドソン川の奇跡」として知られる、航空機のハドソン川着水事故後の顛末を描く。
 先に神保哲生と宮台真司の対談で聞いていたので、映画の見方もそれに沿ったものになってしまい、期待通りではあるのだが、それ以上に心揺さぶられるというようなこともなかった。
 だが期待通りに面白いというのはすごいことでもある。
 『大空港』的な航空パニック&「グランドホテル」物として観られる部分ももちろんあるのだが、それよりも中心は主人公の職業意識であり、そのような人物像が不足なく描かれているだけで大成功である。原題の『Sully』は機長の愛称なのだった。
 中盤がその不時着の顛末なのだが、同じ場面がクライマックスでもう一度再生される。国家運輸安全委員会の公聴会で、ドライブレコーダーの音声を聞く場面に合わせて、同じ映像をコラージュするのだ。最初は「あれっ? 同じ映像だ、さっきと」と戸惑って、この構成は瑕疵なのではないかとも思えたのだが、考えてみるとそのようにしかできないのかもしれない。
 中盤でその顛末を描くときには、離陸前から始めて乗客などの抱えるドラマまで描き、事故後の救出活動まで充分に見せ、映画的にも一定の見せ場を作っておく。
 そして問題の208秒(離陸してから不時着まで)がどのような意味を持つかについてあらためて観客に報せるには、もう一度同じ場面を見せる必要があるのだ。
 一度目は、全員救出という事故の結果を知ってしまっている以上、言わば観客は気を抜いている。サスペンスも半減である。
 だがそうした結果に至るには機長のプロとしての判断と技術と、副機長の協力があってこそなのだ。それが結果から見た予定調和としてではなく、「それは本当に正しかったのか」という審判の場において見直される必要があったのだ。
 満足度の高い作品である。

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