2021年2月7日日曜日

『天気の子』-アニメ的お約束

  細田守も、メジャーになって、アニメーションのレベルは落ちないのに、作品がつまらなくなるのは困ったもんだが、新海誠も同じような感じになってるのが残念。

 アニメーションはとても良い。空中に浮かぶときの頼りなさもうまいし(これは新海誠ではなく優れたアニメーターの仕事なのかもしれないが。沖浦啓之とかの)、上空に溜まった水が一気に地上に落ちるカタストロフ感も、日常に非日常が出現する驚きに満ちていた。そして何より東京の佇まいは、その緻密さだけで、もう溜め息が出るほどの美しさだ。

 ストーリーの骨格も悪くはないんだろう。晴れ娘サービスを始めてからの高揚感も、後半でどんどん天気が悪くなって,不穏な空気が街に立ちこめて、そのうち雪が降り出す展開もいい。ぞくぞくする。クライマックスの後に3年間雨が降り続けるという結末にもびっくりさせられた。

 音楽も感動的だ。流れ始めるタイミングや映像、音楽以外の音の調整など、巧みに演出されている。

 そうしたアニメーションと物語と音楽が重なって、雨が上がって光が射す晴れ間の崇高さはすごい。


 だから問題は人間の描き方だ。

 主人公に関わる大人達に魅力的な人物がいないのも困ったものだが、とにかく主人公の二人が決定的に薄っぺらい。少年が島を出て戻りたくないと思うことと、少女が子供二人で生きていかなければならないと思う、それぞれの事情の切迫感がまるで感じられない。この切迫感が、いつまでも雨が降り続いて、やがて東京が水に沈んでいくという事態の重大さに釣り合うことが、この物語を支えるドラマツルギーの絶対条件のはずではないか。

 それはまずはエピソードの積み上げの欠如に因る。二人の抱える事情がわからないから、どうしてそういうことになっているのか伝わらない。

 もちろんそれをひたすら細かくしていくと、いたずらに長くなるばかりの説明過多な物語になってしまうのかもしれない。説明のためのエピソードが羅列するばかりの。ではそれを削ってどうなっているかというと、結局人物は薄っぺらい。

 だがもっと問題なのは微妙な人物の演技(演出)の欠如だ。具体的に背景を描かなくても、それを感じさせる描き方がされていない。

 そして替わりに何があるかといえば、よくあるアニメ的な描写だ。最近『ねらわれた学園』で、以前には赤根和樹の『星合いの空』で激しく感じた、アニメ的お約束だ。

 以前の新海誠に、それはなかった。登場人物は、お約束など無視して不器用だったり無愛想だったりした。あの切迫感が、宇宙の果てで異星人と戦い続ける任務の重さや、何年もかけて届くメールの切実さと釣り合っていた。

 それが今や、不器用も無愛想さえも、お約束としてしか描かれない。そしてやたらと感情過多に描かれるばかりで、ちっとも迫ってこない。天気を操るとか空の生態系と通じているとか、物語の核心であるところの「世界を変えてしまった」とかいった事態の重大さに、アニメ的な既視感がまるで釣り合わない。

 もちろん「世界を変えてしまった」というのが、単なる子供っぽい思い込みでしかないようにも描かれている。それはある意味では「セカイ系」への距離の取り方として正しいのかもしれない。

 だがもちろん、本当にそうなのかもしれないとも思わせなければ面白くない。それが、ちっともそうは思えないのだ。そう明言されているにもかかわらず。


 新海誠のような特異な才能が、技術的には恐ろしく高度な、しかしどこかで見たようなアニメを作るようになっていくのは、本当に残念でいたましい。

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