2021年8月31日火曜日

この1年に観た映画 2020-2021

  オリンピックの延期された2020年の夏から2021年までのコロナ禍の1年間に見た映画は以下の70本。その中から例によって10本。


9/21『ウインド・リバー』-重量感のある傑作

12/15『運び屋』-自由で頑固

9/6『ランダム 存在の確率』-実に知的なパズル

9/7『ハッピー・デス・デイ』-最高にエンターテインメントなホラー

9/25『CABIN』-わがままな神

11/3『ロスト・バケーション』-「高級な」サメ映画

2/20『ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖』-奇妙なリアルさ

3/21『アップグレード』-レベルの高い一編

5/27『クワイエット・プレイス』-馬鹿げた非難

4/11『私をくいとめて』-いくつもの感情の波

6/2『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』-デジャヴの喪失感


 いや、11本になった。


 『ウインド・リバー』と『運び屋』は、どちらも本格的な「映画」の手触りがずっしりと感じられた。


 『ランダム 存在の確率』『ハッピー・デス・デイ』『CABIN』『アップグレード』は脚本が練り込まれた、才気に溢れる低予算映画。

 『ロスト・バケーション』『クワイエット・プレイス』はそれよりもうちょっとメジャーな感触だが、やはりよく考えられたお話を、緊迫感溢れる演出で見せた。


 ロメロの『ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖』は、長いこと見たいと思い続けて、今年思いがけずアマゾン・ビデオに上がって念願が叶った。満足した。


 『私をくいとめて』は唯一の実写邦画。脚本と監督の手腕もあるが、能年玲奈の存在感はすごい。


 『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』は、テレビシリーズを見通した感慨が付加されているとはいえ、映画そのものも手頃な完結感が懐かしい記憶になっている。


 だが、決定的な一本がない。圧倒的な「体験」となるような一本が。


 次点。

 『私は、ダニエル・ブレイク』は手堅い佳作だった。映画を観ることが社会への目を開かせるような。

 『Yesterday』は幸せなラブコメディを観る幸福感があった。


 『フレンチ・コネクション』『BLOOD The Last Vampire』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY』はそれぞれ再鑑賞で、あらためてその名作ぶりを再確認。


 以下、鑑賞順に。


9/3『私は、ダニエル・ブレイク』-他者への想像力

9/5『Yesterday』-幸せなラブコメディではあるが

9/6『ランダム 存在の確率』-実に知的なパズル

9/7『ハッピー・デス・デイ』-最高にエンターテインメントなホラー

9/8『ザ・ウォード 監禁病棟』-単にB級でしかない

9/11『クリーピー 偽りの隣人』-とてもバランスが悪い

9/12『マッドマックス2』-映画館で観るべき

9/13『マッドマックス/サンダードーム』-ちょっと格調高くなってる

9/13『ハッピー・デス・デイ 2U』-おそるべき構成力

9/21『ウインド・リバー』-重量感のある傑作

9/25『CABIN』-わがままな神

9/30『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』-実に楽しい

11/3『ロスト・バケーション』-「高級な」サメ映画

11/6『ライト/オフ』-ショートムービーでいい

11/15『フローズン』-安い恐怖

11/27『ダークハウス』-安い恐怖続く

12/12『フレンチ・コネクション』-映画の力が横溢した

12/13『ハチミツとクローバー』-みんな若い

12/15『運び屋』-自由で頑固

12/20『サカサマのパテマ』-眩暈のする世界観

12/26『ねらわれた学園』-美しく気持ちの悪いアニメ

12/29『残酷で異常』-小品

12/31『アーヤと魔女』-裏返しの期待を確認する

1/10『ナチュラル・ボーン・キラーズ』-実はまっとうに面白い

1/17『エヴァンゲリオン 新劇場版 序』-確認続く

1/20『サマー・オブ84』-またしても小品

1/24『リピーテッド』-名優の無駄遣い

1/29『エヴァンゲリオン 新劇場版 破』-続・確認続く

1/31『エヴァンゲリオン 新劇場版 Q』-3回目にして

2/5『散歩する侵略者』-黒沢清への不信感

2/7『天気の子』-アニメ的お約束

2/12『カルト』-真っ当な創作物を

2/13『オタクに恋は難しい』-コメディエンヌとしての高畑充希

2/15『Loop』-ちょっと難しい

2/20『ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖』-奇妙なリアルさ

2/21『ザ・クレイジーズ(リメイク版)』-完成度の高い「お話」

3/13『ラスト・ムービー・スター』-甘さを許せるなら

3/14『×××Holic 真夏の夜の夢』-原作通り

3/18『ペルソナ3 劇場版』-ゲームの限界

3/21『Fukushima50』-いろいろ残念

3/21『アップグレード』-レベルの高い一編

3/23『ハウンター』-物語の論理の混乱

3/25『台風のノルダ』-視点の低さ

3/27『空の青さを知る人よ』-予想の確認

4/10『KUBO/二弦の秘密』-論理破綻

4/10『何か』-低予算サスペンスの佳作

4/11『私をくいとめて』-いくつもの感情の波

4/22『BLOOD The Last Vampire』-画面の隅々まで

4/24『ロープ』-もちろんよくできているが

4/25『新聞記者』-期待外れ

4/29『ファンタスティック・プラネット』-イマジネイションは豊穣なるも

5/2『シャークネード2』-C級にとどまる

5/10『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』-価値の対立

5/16『トレマーズ5 ブラッドライン』-義理立て

5/27『クワイエット・プレイス』-馬鹿げた非難

6/2『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』-デジャヴの喪失感

6/12『シン・エヴァンゲリオン』-ついに「卒業」

7/9『星を追うこども』-あまりにひどい

7/18『009 RE:CYBORG』-郷愁に浸ることなく

7/23『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY』-最高に高品質

8/5『ブラッド・パンチ』-低予算の良品ホラー・コメディ

8/7『ヴェノム』-軽い

8/8『積むさおり』-象徴としての耳

8/8『スカイ・クロラ』-狙い通りの退屈

8/9『トゥルー・ロマンス』-脳天気

8/9『ペンギン・ハイウェイ』-夏休み

8/12『式日』-Coccoの「Raining」が流れる

8/14『水曜日が消えた』-ぼちぼち

8/15『ジョナサン ふたつの顔の男』-元ネタとして

8/28『タクシー運転手-約束は海を越えて』-エンターテインメントとして


2021年8月28日土曜日

『タクシー運転手-約束は海を越えて』-エンターテインメントとして

  韓国俳優としてはお馴染みのソン・ガンホ主演で、韓国ではかなりヒットしたという。

 なるほどエンターテインメントだ。「光州事件」という政治問題を扱ったシリアスな面もあるにもかかわらず。

 とはいえ、その面白さはこのテーマがもっているシリアスさに拠る。ソン・ガンホ演ずるさえない庶民的オヤジが、物語の進行にしたがって、世界の見方を変えていく。政治問題が、どこかで起こっている他人事ではなく、自分の関わった人たちがその渦中に置かれたリアルな問題として捉え直されていく。

 同時に、やはりこれはサスペンスでもあり浪花節でもありのエンターテインメントなのだった。

 そのためには、軍警察に追われることの緊迫感や、催涙煙の中から姿を現す軍隊の恐ろしさや、命を落とす民衆に対する愛おしさが充分に感じ取れなければならない。

 それが成功していることによるエンターテインメント映画として、充分な及第点にあるのは間違いない。

2021年8月15日日曜日

『ジョナサン ふたつの顔の男』-元ネタとして

  実は『水曜日が消えた』の設定やイベントにはパクりが多いという情報がネットにあって、これはその一つ。

 こちらは二重人格が一日の半分ずつを占有するという設定。

 ただし、どちらかが消えてしまって…、という話ではなく、最後に消えてしまう一方の人格を見送る。

 全体にはシリアスなタッチで、コミカルだったりほのぼのだったりする『水曜日が消えた』とは雰囲気が随分違う。

 どのカットも安定した「洋画」クオリティで見られるんだが、結末は何だかどこに感動すれば良いのかよくわからなかった。

 例えば消えてしまう一方の人格に対する愛着に観客が共感できれば、その喪失感が面白さなのだろうとわかるのだが。

 突然そこで登場するタクシー運転手が妙に意味ありげに描かれる意味がまるでわからなかったりして。

2021年8月14日土曜日

『水曜日が消えた』-ぼちぼち

  去年の公開の時に興味をひかれていた。曜日で性格の変わる多重人格の一人が消えてしまうという設定は確かに面白そうだ。

 主人公を「火曜日」に据えて、経験できなかった「水曜日」を経験するワクワク感は悪くない。

 が、まあ全体としてはそこそこ、という感じだった。登場する人格は、結局主人公の火曜日と月曜日だけで、映画の最後にそれぞれワンカットだけ登場する他の曜日のキャラクターの「別人」ぶりが見事ではあったが、それをもっと見せておかないと、他の曜日が消えてしまうことを、火曜日が止めたいと思う動機に、観客が乗れない。

 他人格がどうして消えてしまうのか、というのと、どうやって消えないようにしたのかという理屈も、上手く伝わってこずに、納得感も爽快感も安堵感もぼちぼち。

2021年8月12日木曜日

『式日』-Coccoの「Raining」が流れる

 突然娘が「観てみよう」と言い出して観たが、娘は中程まで観てもうギブアップで早送りしようと言い出す。気持ちはわかるが、いわば「けりを付ける」というような意味合いで、翌日に一人で後半から観直す。

 庵野秀明監督で岩井俊二主演ということで、もちろん20年来、観ようとは思っていた。だが積極的に観たいと思うこともなく過ぎた。

 で、ひょんなことからようやく観てみると、確かに早送りしたくなるに充分なほど退屈でもあり、それ以上に観ていて嫌な気持ちにもなる映画ではある。

 基本的には、母親との関係で傷ついて現実逃避している若い娘と、仕事に疲れて現実逃避している「カントク」が過ごす1ヶ月ほどの、非日常的だが、といって特に何が起こるでもない日々を描くだけの映画だ。それに2時間以上もかけるのだから、それは退屈に違いない。

 例えばこの二人の抱えている傷が充分にリアルだったり、微妙な問題を的確に捉えていて感心してしまうような人間ドラマが描出されていたりすれば、もちろんそれはそれで観るに値する。

 だが印象としては、ものすごく型通りの「傷」にしか見えなかった。そしてそれは「エヴァ」同様、到底共感できないのだった。親の愛情が足りなくて精神不安定になる? それってそんなに当然のことなんだろうか? ネットで頻出する「メンヘラ女」という一括りの雑な言い方が、しかし無理もないと思えるほど、凡庸な描き方に見えるのだ。

 それに、どうなったらあの描き方で「カントク」が女に向かって「君が好きなんだ」と言うことになるのか、心底わからない。物語としてはあまりに浅いと感じざるを得ないではないか。

 それと、映画としては、男女のナレーションで心情やら状況やらを語らせてしまうのは稚拙なやり方だと感じたし、中途半端に手書きのアニメーションを入れるのも興醒めした。もっとドキュメンタリータッチで、でも創作物なのだから、充分に繊細な描写を的確に入れ込んでしまえばいいのに、と残念だった。


 にもかかわらず、全体としてそれなりに愉しんだ。

 いくつかの画面は、確かに映画的に見ていて愉しかった。ビル内も街も、カメラが非日常的な空間を切り取って見せてくれる。そこを移動するカメラワークも映画的に愉しい。

 かつ、ドラマとしては期待値が低くなっている分、村上淳がからんでくるくだりなどは、お、意外と観られるじゃん、とさえ思った。観ていて辛いほど不安定な女が、それなりに安定してくる場面では、反動で嬉しくなってしまう(最近ネットで、エヴァファンってDV野郎が暴力を振るった後で優しくしてやるとそれだけで女が却って依存してしまうようなものだという秀逸な評言を見つけたのだが、これもそういう感じ)。

 そしてわずかなハッピーエンドらしき結末にCoccoの「Raining」が流れると、これはもう確かに感動的なのだった。もちろんこれは楽曲の力なのだが、それが確かにふさわしい場をこの映画が用意しているのだ。それ込みで、完結した作品としてのこの映画の力ではある。

2021年8月9日月曜日

『トゥルー・ロマンス』-脳天気

 観始めてから、はて誰の作品だったかと確認してみるとトニー・スコットか。なるほど映画としての手触りは確かだ。

 だがどうも展開が似ている。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に。多分『テルマ&ルイーズ』とか『ボニー&クライド』とかとも似てるんだろうがそちらは未見で、それらに影響を受けているという『ナチュラル・ボーン・キラーズ』なのだが、調べてみるとあにはからんや、脚本がタランティーノなのだった。

 比較して言えば『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の、オリバー・ストーンのような悪ふざけをしないトニー・スコットの語り口は、物語展開の面白さだけを端的に描き出していた。デニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンの対峙はひりひりする緊張感だし、展開のスピード感とカタストロフの過剰さもうまい。


 ただ、こういう人たちにはついていけない、という感じは止みがたく、ある。犯罪に対するハードルの低さも、「トゥルー・ロマンス」なるものを信じてしまう脳天気さも。


『ペンギン・ハイウェイ』-夏休み

 気になることがあって、観終わってから原作を読んで、もう一度観直した。その上での感想。

 原作は日本SF大賞を受賞しているのだが、どういうわけでこれがSFとして評価されているのかわからない。物語の「謎」が、映画を観ても納得できるような説明になっていないのだが、それは映画ばかりでなく原作がそうなのだった。SFの面白さってこういうの? 架空の設定があるのは当然として、架空であることと辻褄が合っていることの両立がSFの面白さだというのが筆者の理解なのだが。

 「海」や「ペンギン」についての充分に「科学的」な説明が必要だとは、必ずしも期待しない。だがあの「お姉さん」の設定は納得できない。なぜ彼女なのか、という疑問を素通りして、そもそも彼女が人間ではないという真相に至るのだが、それと彼女があまりに人間らしく描かれていることとの不整合が腑に落ちない。

 最近「Vivy -Fluorite Eye's Song-」を観ての不満もそこだった。AIを描くなら、人間とは違う情動をどう描くかがテーマではないか。異星人でも同様だ。最近『ヴェノム』でも感じた。

 それが実現されている作品は間違いなくあるのだ。

 そもそも原作は『ソラリスの陽の下に』に対するオマージュだというのだが、いやいや、『ソラリス』は異生命体コンタクトものとしての極北だ。あそこで描かれる、人間が人間的な推論(感情移入による推論)をすることの不可能性はあまりに鮮烈で、AIでも異星人でも、こうした範があるというのに、なぜ浅慮のままに人間らしく描いてしまうのだろうといつも残念に思う。

 が、一方で「お姉さん」は人間として描かれる必要がある。それこそがこの物語の魅力なのだから。少年の愛情の対象として、彼女は魅力的な「人間」でなければならない。

 だとすればこの物語は基本的な設定として破綻している。SFとしては。


 だが一方で、ジュブナイルとしての愉しさは全開だった。理屈っぽく、小学生離れして大人びているという主人公の人物造型が逆に小学生の時間を鮮やかに描き出すという目論みは原作でも映画でも同じく成功していた。

 学校の場面がいくつか必要なのは仕方がないが、できればこの物語を夏休みの中だけで完結させてほしかった。途中から展開される夏休みは、本当にジュブナイルの象徴のようなかけがえのない子供時代を感じさせて、途中からそれが終わって2学期に入ってしまっているのが本当に惜しかった。

 この、夏休みに象徴される子供時代の空気感が魅力的に描かれているというだけで、この物語は成功である。


 その上で、原作を読んでみて、アニメーションの成功と失敗がやはりどうしてもあるのだと感じられた。

 アニメーションとしては無論良くできている。緑がきれいだ。水や風が感じられるし、スピード感も素晴らしかった。

 主人公の北香那も、特異なキャラクターの「少年」を演じて文句なく上手かったし、最初、合わないと感じていた蒼井優の「お姉さん」も、小説を読むときにはもうすっかり蒼井優の声でしか読めなかった。

 だが、小説を読むと、やはりこれくらいの映像描写では、まだ小説で感じる繊細な心の動きが描き足りないとも感じた。その代わり毎度のこと、アニメ的お約束に流れていると感じる描写が多かった。そういうアニメ的ユーモア、ギャグを、観客として想定している子供が本当に喜ぶのか、それとも作り手の思い込みにすぎないのかは、実は定かではない。だがそれが大人の鑑賞に堪えないのは残念ながら確かだ。

 だから、小説の最後には泣かされてしまった少年の一人語りは映画でもそのままナレーションとして流れるのだが、その後に挿入される短い小芝居がエンディングとなることで、その感動は小説のようには起こらないのだった。

 小説が情景描写や心理描写で描き出す微妙な心の機微。それをどうやってアニメが描くのかはやはり大いなる課題である。

2021年8月8日日曜日

『スカイ・クロラ』-狙い通りの退屈

 神山健治の一方で、押井守に対するケジメの一つがこれ。公開から13年経つ懸案(だがまだ『イノセント』が残っている)。

 世評からするに、面白くなる期待はできない。

 だが少なくともアニメーションは悪くないだろうと思って観てみると、なるほどいい。そこはこだわりなんだろうから当然とも言えるが、戦闘機の空中戦のスピード感やカメラワークはもう今更という感じだが、それが海に堕ちるときに一緒にカメラも一瞬水面下に沈むカットなどは息をのんだ。


 とはいえ、やはり面白くはない。

 静かで動きのない物語やら芝居やらは、それ自体に面白くない原因を見出そうとしても、そうした批判はあまりに当然すぎて押井守には通じないだろう。

 退屈ささえ、この物語の狙い通りなのだから。

『積むさおり』-象徴としての耳

 とりあえず短いホラーを観たいと検索すると、『本当にあった怖い話』シリーズが出てくる。なるほど確かに短編だ。比較的評価の高いものを2本ほど観てみるが、まあ予想の範囲内。で、それよりもうちょっと評価が高くて、ちょっと長いが、なんだかよくわからない本作を観始める。

 これは良くできていた。『本当にあった怖い話』やら『新耳袋』あたりの、怪奇現象が起こるたぐいのホラーではなく、いわば心理サスペンスだが、監督がホラー映画に関わりのある人だというので検索に上がったのだろう。

 話は単純で、中年の再婚夫婦の、主人公である妻に「積」もっていく微妙な不満が、幻想の中で爆発する、というだけ。結局は、実際に夫を惨殺して…といったホラー展開にはならない。

 特に悪気があるわけでもない夫の無神経なふるまいが、これはそういうことか? と思っていると、そうなのだ。その微妙な描写の積み重ねが巧みなのと、主演の黒沢あすかの演技が圧倒的なのがまず高評価なのだが、それだけではない独特の仕掛けもある。音である。

 不満の累積が耳鳴りというか、難聴のような症状として表れてくるのだが、同時に、不快な音だけは強調して聞こえてくる(これはテレビでは観られないと、パソコン再生でヘッドホンをして視聴した)。

 と同時に、散歩の途中で見つけた、公演の一隅にある枯れ木の隙間が、なにやら象徴的な心の暗闇にように感じられ、それが最終的に耳の比喩として描かれる。そこに巨大な「耳かき」を入れて、様々な「不満」を掻き出すのだが、その巨大な「耳かき」が、人体を模している奇妙な造型なのが印象的だった。

 この奇妙なオブジェがどのように発想され、かつそれがなんでこんなによくできているのかと思って調べると、そもそも監督は特殊メイクの専門家なのだった。その専門性を活かして、かつ繊細な演出を積み重ねた心理サスペンスとしての佳品だった。監督自身の脚本でもあり、主演女優が実生活の妻でもあるところに好感度も増す。

 結局日常に戻っていく結末を、ハッピー・エンドだと捉えて良いのやら。

 怖い。

2021年8月7日土曜日

『ヴェノム』-軽い

 こういうのは気楽だから録画してすぐ溜めずに観てしまえる。

 始まってすぐの宇宙船墜落現場の空撮がなかなかによくできていたりして、映画を観ている愉しみを感じられたりする。

 だが肝心のヴェノムのCGは、まだ実写部分と違和感なく動かせているかというとそんなことはなく、すごい技術進歩だなあと思っていた20年くらい前から変わらない。部分の細かさや質感は増したが、全身の動きが自然な生物らしく見えないと、力強さもスピード感も空々しくなってしまうのだ。

 だから冒頭の空撮にせよ、途中のカーチェイスにせよ、すごいのは実写部分だった。その後の敵数十人との戦闘や、ラストの敵異星人との戦いなどは、もうどうでもいいという感じだった。

 一方でこれは異星人に乗り移られるけど共生の方法を探るバディものでもある。となれば『寄生獣』だ。確かにデザイン的にも連想されるところが随分あるから、比べたくなるのも人情。

 で、比べてどうだというのも、真面目に語るにはばかばかしい。『寄生獣』のような真面目な考察がされているわけもない。ヴェノムの行動原理が浅くしか感じられない。生き延びようとして主人公に味方するのはわかるが、異星人としてはうだつが上がらないのが、地球で生きていく方がいいのだとラスボスを倒すことにしたのだという理由付けは無理矢理。ラスボスが異星人を「何百万」も連れてくるという計画も、まったく実現の方法が視聴者にわからない。それでどんな危機感を抱けば良いのか。

 あちこちの軽いやりとりがそこそこ楽しかったり、アクションが爽快だったりする部分もあったが、全体には軽く観るしかない。

2021年8月5日木曜日

『ブラッド・パンチ』-低予算の良品ホラー・コメディ

 「タイムループの呪い」という邦題が信じ難いほどダサいのだが、観てみると本当に「呪い」というような設定なのだった。

 ループが完全な復元ならば、誰もそれを覚えていないのだから、そもそもループしていると言うこと自体が無意味になる。ループ、と言った瞬間に、それを外部から観察する、記憶をとどめておく者の存在が必要なのだ。

 それが「ハルヒ」の「エンドレス・エイト」における長門であり、「ひぐらしのなく頃に」の梨花であり、「リセット」における浅井ケイだ。そして、全てのループ物における観客だ。

 ところが珍しいタイプの作品もあって、記憶以外にも、何か物理的な変化が伴っていて、それが記憶とともに蓄積されていくことがある。

 本作では劇中の殺人によって生じた死体が、ループの中で消えずに蓄積していく。

 これは『トライアングル』ではないか!

 『トライアングル』同様、本作でもこれがどういう仕組みなのかがわからない。何せ「呪い」だ。合理的な説明はないのだ。ただ、ループ物の悲劇を映像として見せることで観客に与える衝撃を目的としていた『トライアングル』に比べ、本作ではこの設定による物語的な面白みをあれこれと追究している。それはホラーと言うよりコメディだ。この感触は『ハッピー・デス・デイ』だ。

 そう、ホラーはルールが肝心だ。設定はどうであれ、一旦その設定をしたあとで、そのルールの中でどれほど遊べるかが勝負だ。

 その点、本作は低予算の制約の中で誠実な工夫を凝らしていた。

 良品。