2023年8月19日土曜日

『キャスト・アウェイ』-相対化

 これもまた「世界サブカルチャー史」の導きがなかったらあえて観ようとは思わなかったであろう映画だが、観始めるととても面白い。飛行機事故で遭難して無人島で4年過ごし、筏で海に乗り出したところで貨物船に発見されて生還する、というそれだけの話なのだが、となれば問題はディテールだ。文明社会での生活ぶりと、無人島でのサバイバル生活の対比、サバイバル生活における飲み水や食料、火の貴重さや孤独との戦い、物資の調達などを、どれほどリアルに感じさせるか。

 もちろん甘いという批判はあろう。実際のところ生き延びるのは困難だろうが、ありえないと断定してしまう必要はなかろう。あることにしないと物語は成立せず、その中ではそれなりにありそうな細部を描く。

 そして文明社会に戻ってきて、そこにある豊かさがあらためて相対化される。この感じは最近では『トレイン・スポッティング』で、荒んだ生活と真っ当な社会生活が対比されることで、その「真っ当」さが相対化される感覚と似ている。本作では文明の利便性は、文明社会にあっては当たり前だからこそその価値をあらためて再浮上させつつ、だからこそその価値を失っていることを実感させもする。例えば「チャッカマン」でカチカチと火を点けて憮然とする主人公は、無人島での火起こしの苦労を思い出しているのだろうが(観客も同時に想起する)、その表情はその便利さに感謝するというよりは、火が起きたときの感動を失っていることを示しているのだ。

 孤独と愛情も同様だ。無人島でバレーボールに顔を描いて「ウィルソン」と名付け、話し相手にする設定は、孤独を描写する巧みな方法だった。筏からウィルソンが流されて遠ざかって行くシーンは本当に悲しかった。映画は、悲しいと感じさせるだけの描写に成功していたのだった。そして、戻ってきて再会できた妻とまた別れなければならない最後は、文明社会にあっても、本当に価値あるものを失うことの痛みは、状況にかかわらない普遍的なものであることをも感じさせた。

 最後に、遭難によって届かなかった荷物を送り先に届けようとするエピソードは、因果を収束させようとする脚本的な魅力に富んでいたが、それだけでなく、最後の交差点の先に拡がる空間の茫漠とした広がりが未来に対する不安と期待を象徴していることは明らかで、そのことを強く感じさせる映画的な描写は素晴らしかった。

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