2019年12月8日日曜日

『バトルロワイヤル』-やはり良さがわからない

 『少年チャンピオン』で2000年から5年にわたって連載された田口雅之のマンガ版は、時々目にしてなかなかよくできているぞと思っていたのだが、最終的にどれくらいの長さになるかわからず手を出さずにいた。
 最近、ブックオフでまとめて売っていたのを見つけて買って、通して読んで、大いにのめりこんだので、その勢いで映画を観直してみる気になった。
 一度観たことはある。その時は感心しなかった。なんでこんなチャチなドラマが評価されるのかわからん、と思った。原作の感動のかけらもないのはどういうわけだ、と思った。
 さて、十数年ぶりに観直してどうだったかというと、やはり変わらないのだった。一体何が見落とされているのか。評価する人は一体何を見ているというのだ。
 原作とマンガ版は、生き残るために級友を殺すという決断をすることに対する葛藤と、そうして大切な人が一人ずつ死んでいく痛みが強度のある構成で描かれていて、やはりドラマとしての感動があるのだ。
 そして、死んでいく者の抱えているドラマが丁寧に描かれていることで、その死に読者が思い入れてしまうことにも成功している。
 こういったドラマの要素はほとんど『Walking Dead』のクオリティに匹敵する。
 だが、この映画にはそれらが何もない。単純に長さが足りないということは厳然たる事実として大いなる制約ではある。しかしそれは映画のもっている条件なのだから、それでなんとかするしかないのだ。そうでなければ映画化なぞしなければいい。連続ドラマにすべきなのだ。
 しかし謎なのは、このようにまったく空虚に感じられるこの作品が、日本ばかりか海外でも高い評価を得ていることだ。何が心を打つというのか。
 ただ、原作に全くない要素として突如挿入されるビートたけしの教師とヒロインの交流が、異様な異化効果を生んでいるとは言える。
 とはいえ、そんなことで、なんだか良い映画のように思わせるのは邪道ではないか、と原作に思い入れのある者としては納得できないのであった。

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