2019年12月30日月曜日

2019年のテレビドラマ・テレビアニメ

 今年はクドカン脚本の大河ドラマ『いだてん』を1年間見通した。大河ドラマを見通したのは山田太一の『獅子の時代』と、堺屋太一原作の『峠の群像』以来30年振り。
 情報を入れてなかったので、大河ドラマ史上最低視聴率なのだと終わってから知った。クドカン作品としては『ゆとりですがなにか』の密度には並ばないが、オリンピックの歴史について学ぶことができたり、何度かはとても感動的だったり、ものすごい人の力でできてることが想像されたり、良い作品だったと見做すことにためらいはない。
 それにしても単独でも最低視聴率を更新した第39回が、一方で「神回」と呼ばれているなどというのも皮肉なことだ。確かに39回は神回だった。実に密度の高い、実に感動的なエピソードの並んだ回だった。
 最終回も実に感慨深い。さまざまなことが思い出されるのは、これだけの時間を共に過ごしたと思える大河ドラマ連続視聴ならではの感慨だし、紆余曲折あって実現した東京オリンピックはとりわけ閉会式が感動的だったし、「富久」に重ねた後半の構成も見事だった。
 それぞれの競技の帰趨なぞも描けばどんどん膨らむことは間違いないが、そうもいくまい。女子バレーは前からの引きでいくらか言及するとはいえ。ということで嘉納治五郎にからめて柔道競技を描いて欲しいとは個人的な期待だったが、残念。
 なるほど、大河ドラマを見続ける層のニーズには合わないということがあるのか。これほどの作品なのに。残念なことだ。

 『同期のサクラ』も、1話の途中から観始めて(後でネットで冒頭から観直した)、最後まで毎週楽しみだった。
 何話かは確実に感動的だった。笑わない主人公が、各回の最後辺りでほんの一瞬笑う瞬間に、毎回心が動かされた。
 だが、同時に毎回「私には夢があります」で始まる定型の台詞は見るに堪えないと思っていた。ドラマ的な誇張が、こちらの許容範囲を超えて白けてしまう瞬間だった。
 終わり近くなるとこの「白けてしまう」瞬間がドラマ全体に増えてきて、最後は残念だった。「同期」がテーマのこのドラマで、その仲間の絆が、強調されればされるほど白々しく思えてしまう。残念ながらそこに共感できるほどのエピソードの積み重ねはなかった。
 細かいことだがとても気になったことがある。
 このドラマは「空気を読まずに正論を吐く」主人公のキャラクターが核心にある。それ故の衝突の連続が物語を引っ張るのだが、例えば街角で歩きスマホをしている人を注意する際に「やめていただけると助かります」と言うのが気持ち悪いと毎回思っていた。歩きスマホをやめるべきだと考えるのは自分が「助かる」ためではないはずだ。「やめなさい」ではいくらなんでも高飛車で、視聴者の共感を得られないと考えて、こういう言い方になったのだろうとは思うが、一方で論理の一貫性がなくなってしまうことが。
 それともまさか、「やめるべき」だと考えるのが自分の性分に過ぎず、それに合わせてもらうことは自分にとって「助かる」というだけであることを自覚してそのように言っているのか。

 今年、1クール見続けたアニメがどれくらいあるかとWikipediaで調べてみると…
「荒ぶる季節の乙女どもよ。」「ガーリー・エアフォース」「賭ケグルイ××」「歌舞伎町シャーロック」「鬼滅の刃」「キャロル&チューズデイ」「ケムリクサ」「荒野のコトブキ飛行隊」「コップクラフト」「PSYCHO-PASS サイコパス 3」「さらざんまい」「女子高生の無駄づかい」「続・終物語」「進撃の巨人3」「厨病激発ボーイ」「Dr.STONE」「どろろ」「ナカノヒトゲノム」「ノー・ガンズ・ライフ」「BEASTARS」「ブギーポップは笑わない」「モブサイコ100 II」「約束のネバーランド」「Revisions リヴィジョンズ」「ワンパンマン」「警視庁 特務部 特殊凶悪犯対策室 第七課 -トクナナ-」
 うわっ、わりとある。50音順だから、年の最初の方のは結構懐かしい。
 さて、今年ばかりこんなことを振り返ってみたのは、最近終わった第4クールの『BEASTARS』が素晴らしかったからだ。
 制作のアニメ会社・オレンジは『宝石の国』も素晴らしかったが、『BEASTARS』ではもう一段階レベルアップしている。CGくささがなくなって、セルアニメに近い画の柔らかさと、セルアニメには難しい細密さとが同居している。
 何より素晴らしいのは演出の繊細さで、場面によっては原作よりも、ある瞬間の「劇」的な情感が増してさえいる。
 シーズン2もあるらしい予告だったので、楽しみ。

 上記の中には、見続けはしたものの、ほとんど宿題のようにいやいや片付けたものもある。
 上記以外に言及しておきたいのは、7話まで放送されてから、もう一度1話から再放送をするという謎の放送となって年を越す『バビロン』だ。7話は、正直、ここまでやって大丈夫かと心配になる展開で、その翌週から再放送になったので、やっぱり問題になったのかなあ、などと心配になった(サイトでは続けて新年に放送するようだ)。このままいけば傑作の予感なのだが、野崎まどは「正解するカド」が最後に残念なオチになったので、期待半分不安半分。

 それから、2話まで観てやめた『星合の空』が、とても心を動かした。悪い意味で。
 どうでもいい作品はどうでもいい。だが赤根和樹は『鉄腕バーディー DECODE』のアニメーションが素晴らしく、この『星合の空』も期待して見た。
 確かにアニメはクオリティが高い。軟式テニスを題材にしているのだが、フォームもスピード感もいい。
 だが演出がひどい。これがまた、どういうわけだ、と呆れるようなひどさなのだった。なんだかちょっと良い感じのドラマ的描写が、あまりに文脈のバランスやリアリティを無視して描かれるのだ。この気持ち悪さは『同期のサクラ』にも通じるのだが、あちらはドラマ的誇張をどれくらい受け入れることができるかという視聴者の好みとのマッチングによって許容できたりもするのだろうが、このアニメの気持ち悪さを受け入れることのできる人はいるのだろうか。
 同時に、この作品は監督のオリジナル脚本でもあり、物語としての辻褄や整合性、リアリティに対する余りの意識の低さが、演出のひどさと完全に同期している。単なるスポーツ物ではなく青春期の心の揺れを描こうとしているらしいことや、「毒親」などシリアスな問題を扱っていて、それが充分な繊細さで考えられていないところが一層無惨に感じられる。
 2話でやめたあと、何かの間違いだったのだろうかと11,12話を観てみたのだが、印象は変わらなかった。大会における試合が描かれる2話だったのだが、劣勢からの逆転が、どういう必然性によって起こっているのか、まるでわからない。
 もちろん現実の勝負の帰趨は偶然と実力によって淡々と決まる。だからリアルに描こうとするなら「偶然と実力」以外の必然性はいらない。
 だが物語としてはそこに物語的な必然性を与える方が面白いはずなのにそれはなく(少なくとも説得力のある形では)、一方で「形勢が逆転する」という物語的な要請にしたがって試合が展開しているだけで、それが「実力」を反映しない「偶然」に拠るものだという描かれ方をしていない。ならば必然性が必要なはずだが、それはない。というか「形勢が逆転する、という物語的な要請」自体が「必然性」になっている。こういうのを「ご都合主義」というのだ。
 「物語」や「人間」に対する認識の浅さとアニメーションの質の高さが、驚くべきアンバランスで同居している。ある意味すごいアニメだ。

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