2020年2月29日土曜日

『絞死刑』-構造的不可能性

 大島渚は『戦場のメリークリスマス』と『御法度』くらいで、あとはテレビでの文化人としてのコメンテーターというイメージしかないのだが、機会あっていくらか古いこの映画を。
 だが作意ばかりが表に立ちすぎて、映画として面白いと思えなかった。この「作意」は予告編で大島自身が熱く語っている。つまりは死刑制度反対であり、在日朝鮮人問題である。テーマを設定すれば結論は見えていて、それでも映画として面白くなければならないと監督が言っている通りで、登場人物たちの言動が戯画化されており、その滑稽さを笑い飛ばすという趣向なのだとはわかるが、頭で「わかる」というに過ぎず、ちっとも愉しくはなかった。
 あえて戯画化して描くという趣向が既に対象に距離を置いた分析的客観視だから、主人公の朝鮮人青年に共感することが妨げられるという、この構造的不可能性。

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